キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「こいつはおれの自慢の姪っ子です」前編

2月初めから3月下旬までのブランク期間に下書き保存してあったものは、前にほざいたとおりあらかた放出(公開)した。

 

かたや、その間に起きた出来事でも。

○書いたけど、公開はやめたもの

○書く時間が持てなかったもの

がある。

 

たとえば前者はこういう(↓)

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盟友・キャトゥとひさびさに飲んで。

いまのキャトゥの職場から近いってんで参宮橋の町中華で飲んだんだけど。

そこは、マラソンつながりのまつよしさんってかたに教えてもらって何回か連れてっていただいた名店で。

 

まつよしさんのこととか、キャトゥのこととかを思い入れたっぷりで12000字ぐらい書いたんだけど。

なんつうか、まつよしさんに対してにしろ、キャトゥに対してにしろ、想いがつおすぎて。

よく言えば「てめえの胸だけにしまっておきたい?」、わるく言えば「さらすにはキクチがキモすぎる?」ってんで凍結した。

 

その他、上記画像にあるのはクオリティの低さが目に余ったので凍結。

 

 

後者(書く時間が持てなかったもの)というと。

・2月の初めに武蔵小杉で、いままで何度かクソ辺境でも取り沙汰したジョーダマチャンネーパイセンらとウタゲをカマしたこと。終電が終わっちゃっておうちまで12kmぐらいあんよして帰った。終盤の記憶があいまい。

・3月の初めに東京マラソンのアフターにイッチョカミしたこと。サトさんがなぜかキクチごときを誘ってくだすって実現したんだが、かるりーのさんとかイツカさんとかmotoさんとかたまさんとひっさびさにお会いできてうれしかった。中盤からの記憶があいまい。えむさんはやっぱ鬼じゃなく菩薩だったし、ユキさんはやっぱこにくたらしいヤツだったw

・3月の中旬にミノルさんが旗を振ってくだすって、ムネコフさんと新宿でウタゲをカマした。ミノルさんもムネコフさんも、やっぱ抜群におもしれえなっておもった。記憶はバリバリある。

 

ぜんぶウタゲじゃねーか。。。

 

 

特に東京マラソンのアフターなんかは、ネタ的にはもうとっくに賞味期限切れしちゃってるケド、おもうところのものがいっぱいあるので、いまさらでも書いてもいいかなってちょっとだけおもってる(やんねえフラグぇ)

 

 

で、個人的にやっぱ記録しとかなくちゃってことが2つあるので、書く。

1つめは2/26におこなわれた義弟の結婚式。

 

いきさつ(気が向いたらどーぞ3連発↓)

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義弟はもう結婚をしないひとだとおもってたし。

おなじく独身をつらぬいてる義伯父が(昭和特有の、別に全然えばりくさってるわけじゃないけど関白的なとこがあるし、ひとりで自由な身を謳歌してるって意味で)むかし義母とにょうぼうの間では「殿」って呼ばれてて。

義弟もそんなんわけで、にょうぼうとムスメっこに影で「若殿」って呼ばれてたのに。

 

20代のすげえきれいでかわいいチャンネーと結婚することになり。

どちらかといえばガチムチでオラオラ系な義弟が、すっかりメロメロになってる。

 

ってのが、こちら側からみると。

ほほえましいというか、義弟ホントよかったな!っていうか、そんな義弟を御する新婦ってのはさぞやこれから尻に敷かれまくるんだろうなあとかおもう感じで。

 

 

にょうぼうは照れ隠しだかわかんないケド。

式が決まった日から「憂鬱でしかない」うそぶいてて。

それは、にょうぼうの両親はもう亡くなってるので、にょうぼうが親代わりとしての役目を果たさなきゃなんない(親族紹介とか、披露宴中の挨拶まわりとか)っていうのがあるんだけど。

 

どういうわけか、キクチにはいっさいどうしても手伝わそうとせず、一人でパーフェクトに立ち居振る舞っておった。

 

キクチ、そんなに頼りねえのか?

 

 

「殿」といえば。

元祖・殿ともひさびさに会えた。

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2年前に脚を痛めてから。

それまでは義実家で正月には必ずいっしょに飲んでたのに来られなくなって。

この日は義弟の門出だってんで、足立区の竹の塚ってとこから電車を乗り継ぎ、がんばって表参道の式場まで来てくれた。

足が悪い以外は相変わらずで、ちょっと安心した。

 

 

この義伯父は、物静かでそんな社交的でもないひとなんだが。

なぜかキクチとは(一方的な思い込みかもしんないけど)とてもウマが合い。

超絶人見知りなキクチとは、結婚前からいっしょに飲んでくれるし。

キクチも、気安くいろんなことを話したり、飲んだりできる感じで。

この数行をまとめると、キクチはこの「めがねおじさん」が大すきである。

 

 

ほかにもいろいろ書きたいことがあるんだが、割愛。

あまつさえ、表題に「前編」ってしちゃったように。

このエントリーはあくまで前フリである。

 

 

式は、わりと無骨なメンツがそろっておった。

 

それは、親戚が多い新婦側に対して、

義伯父とおれの家族しかいない新郎側は帳尻を合わせるように

義弟のおともだちをいっぱい招いたからだ。

 

小中学校と野球のリトルリーグ。

高校大学とアメフトをやってた義弟。

仲間はいかついひとばっかりだ。

 

席次表をみると、ちらほら。

むかし野球雑誌やアメフト雑誌でなまえを見かけたことがあるひともいる。

 

ことほどさように、式も披露宴も

もう義弟も40代半ばだから、

仲間だってさすがに「オラオラ」ではないにしても、「うおりゃー!」ぐらいの勢いはある感じで推移しておって。

 

ド文系ひきこもり系のキクチは、

親族席で「殿」としずかに乾杯を重ねるぐらいしかできなかった。

 

 

式は陽だまりがちょうどよく陽だまるチャーチで。

 

ハープの優雅な感じが何とも心地良くって。

「ああ、義弟ほんとよかったね」って感慨にひたってた。

 

正確にいうと「ひたろうとしてた」らば。

 

新郎が入場してきたとき、義弟のおともだちの筋肉集団がてんしょんまっくすで。

超絶うぇいうぇいって感じの体育会系ノリで式が進行してった。

 

披露宴もだいたいいっしょ。

 

 

。。。

 

 

いらねえ情報を付加すっと。

キクチは、基本的にずっと新婦のお父さん「ザコシ」を凝視しておった。

 

「大切なムスメを嫁がせる父親ってどんなんだろう?」

が、一人娘の父親としてどうしても気になっちゃって。

 

 

なお、ザコシは新居の建前?のときとおなじく。

お気に入りの白いハットを召されておって。

 

そういうのは新婦のおねいさんで経験済みだからか、

はたまた、もともとの胆力なのか、

必死に耐えてたのか、

お育ちのよさなのかはわからないけど、

 

涙にくれることもなく、

ソツなく淡々と、ときには会場を盛り上げる感じで

「新婦の父」としての役割をコンプリートなさってて

 

お、なっかなかの人物だなっておもった。

おもいましたとさ。

 

 

ああ、長くなっちゃったな。

前フリエントリーのつもりだったのに。

 

 

。。。

 

 

この日。

親代わりの役割を果たさなきゃいけないにょうぼうはともかくとしても。

 

その他の親類。

母と義伯父、キクチとムスメっこは、言っちゃえば

「数少ない親族としていさえすればいいんでしょ」

ぐらいの、ある種の気やすさで臨んでおった。

 

知ってる人もいねえし、控えめに。

 

そうやって油断し切ってる、披露宴もたけなわなころ。

新婦がお色直しに行っちゃってご歓談の時間帯。

 

とつじょ、義弟がマイクを握り、叫んだ。

「ななすけ、来い!!!」

 

つづく。