『セクシー田中さん』の作者のかたが、自ら悲しい結末をえらんでからというもの。
『セクシー田中さん』をテレビドラマではじめて知った程度にイッチョカミなキクチだてらも、この事態についてうすらぼんやり、ずーっと考えておる。ホントつれえ。
なので、このエントリーは。
コレ(↓)のつづきみたいなもんだ。
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とはいえ。
この事態について直接的にいろいろほざいても、外野の的外れ妄想でしかないので。
クッソいらねえてめえ語りに論点をずらして、お茶を濁してみようって魂胆。
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キクチは。
翻訳された海外の小説をほとんど読まない。
(これって、前に何度か言ったっけな?)
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むかし、10代のころ。
スティーブンキングにドハマりしてる読書中毒の知り合いがいて。
彼は「夜、ウイスキーを舐めながらスティーブンキングを読むのが至高の時間なんだ!」って言ってたんだけど。
彼が読んでいたのは日本語版。
「それは『スティーブンキングを読んだ』とは言えないんじゃないか?」
「そのひとが至高に感じてるのは、翻訳者の世界観に、だよね!?」
とおもっちまったのが、そのきっかけ。
あ、別に彼を批判したいとかじゃない。
キクチだって、そんなら原書を読みゃいいじゃんなのに海外の小説を読まないのは、語学力の著しい欠如に起因してるからで。
つまり、「読まない」じゃなく「読めない」。
(おっと。「10代がウイスキー舐めながら」的なやつは、20世紀のコンプラが基準になってるからな。時効時効っと)
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そういうてめえのなかの方針(?)は。
大学に入ってから、ますます強固になってった。
大学時代、キクチはポエムを専攻してたんだが。
対象がランボーっていうそこそこ有名なポエマー(ポエット?)だったからか、時代を超えてさまざまなひとが翻訳版を出してて。
担当教授も「A翻訳家版は翻訳者の色が出すぎてて、原書にあまり忠実ではないですが『A翻訳家のランボー観』として参照するならいいかもしれません」
「かたや、B翻訳家版は原書にわりと忠実なので、解釈として参照の基準にするならばそっちのほうがとっつきやすいでしょう」。
それを聞いて、キクチの強固はますます強固になってった。
つまり、「けっきょくどっちの翻訳者のも、ランボーそのものではないんだよね」。
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知ったようなクチをあえてきいてみると。
きょくたんに言うと。
よしんば、ストーリー展開が前面に出てる小説ならば、翻訳でも話の流れは変わらない。
かたや、ポエムは単語ひとつひとつの勝負?だから。
トータル的に話の流れ?が合ってたとしても、それはまったくの別ものになる。
たとえば。
「ふとんがふっとんだ」っていう日本語の表現があるとする。
それを英語に直訳しても、英語圏のひとに「ふとんがふっとんだ」のすべてを伝えることは不可能じゃないすか。
「もとはダジャレなんっすよ」っていう、ユーモア解釈を盛り込んで英語にしたとしたら、それは翻訳したひとの解釈っていうか置き換えになっちゃうわけで。
それがどんなに秀逸な翻訳であろうと、日本語を母語とするひとが直感的にキャッチする「ふとんがふっとんだ」のクラシカルさ、クソくだらなさ、和式な文化的背景を表現することはできないじゃん的な。
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いや、別にいいんっすよ。
っていうか、よしあしを言ってるんじゃなく。
そこをどう感じるかということ。
「翻訳を読んで、ランボーのポエムの言わんとしてることがわかりました!」なら、その鋭敏な感性?はなんとすばらしいことであろうか、だし。
自己弁護するとかじゃなく、「あくまでそれとこれとは別じゃん?」っておもうならそれもそれでいいじゃないすかってことで。
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何を言いたいかというと。
上記、翻訳に対するキャッチの仕方はあくまで受け手側のもんだい。
原書もA翻訳家版もB翻訳家版も、よしんばキクチ翻訳版もw、ランボーっちゃランボーであるとはいえる。
反面、発信者側はどうだろう。
「小説、マンガ、アニメ、ドラマ。メディアが違えば、表現方法も変わるのは当たり前じゃないすか(それもいわば翻訳)。なので、合ったやり方でじゃんじゃんやってください!」ってひともいれば。
「そんなの関係なく、あくまで原書に忠実におなしゃす!」ってひともいれば。
「メディアが違うんだから、原書を再現することはできないのでNGです!」ってひともいて。
いずれにしろ「翻訳」を是とするか非とするか。
よしあしじゃなく、スタンスはそれぞれ。
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それを政治だの、パワーバランスだの、損得勘定でわりきろうとすることはそもそも無理筋なわけで。
本人が是なもんは是だし、いやなもんは何をどうしたっていやなんだよ。
あ、話が大きくなりすぎちった。。。。
このエントリー。終始、話が重いな。
そんなつもりじゃなかったんだけど、キクチ内ではわりとけっこう相当重要なもんだいなので、あれからもうずーっと覆いかぶさってるもんで。。。
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ここに来て、そもそも論に戻るのもナンだが。
じぶんのなかでは、今回の一連の問題は「ゼロイチ」。
無から有を産み出す作業の過酷さに対する理解度。
のギャップに尽きるとおもってて。
その「理解度」ってのは、わかりやすく一側面だけ言うとつまり「リスペクトぐあい」の高低?軽重?なんすよね。
君はそれをどう考えるか。
じゃなきゃ「いやなもんは何をどうしたっていやなんだよ」っていう魂の叫びを嗤うことなんて、とうていできるわけねえし。
(本質的な部分でまじめかどうかってことなんだろうか?)
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あ、やっぱ話が大きくなりすぎちった。。。。
なので、少なくともじぶんはリスペクトの何たるかをやっぱりちゃんと、もう一度しっかり考え直して、自者にも他者にも誇りを感じながら生きていきたいなって、マジクソおもった。もとい、ちょっとまじめにおもった。
すんげえおもいましたとさ!!!!
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言いたいことはまだまだ、いっっっぱいあるけど。
さもおれは知ってます的なことをしゃあしゃあとほざくじぶんに呆れちゃってもいるので、とりあえずやめとく。
ぽえむ!(ポエム専攻だけに、な)