キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

怒りの瞬発力、みたいなこと

ネットをぼうっと眺めてたらこのマンガが話題になってて。

おもしろかったので、ネットに上がってるものを一気読みしてしまった。

最初に読んだのがコレね。

bunshun.jp

「この世界には二種類の人間がいる。」

「○○な人か、××な人だ!」

そういう定型文みたいのがあるが、

キクチもまさにこの漫画家さんが書いてるのとおんなじ性質。

 

どっちがいいとかよくないとかじゃなく、

たんじゅんにそれこそ性質の違いなので、

50:50とか60:40とか、割合はともかく

大多数に賛同?を得られることではないかもしれない。

 

「そうそう!」っていうひとも

「ちょっと何言ってるかわからない」っていうひともおなじく一定数いるネタであろう。

 

ってだけの話である。

 

 

いらねえ自分語りをトッピングするならば。

適切な距離感って何だろう?みたいな話で。

 

たとえば馴染みのお店とかサービスができたとして。

お店のひとにじぶんの存在を認められることじたいは、とてもうれしい。

そのサービスに対してじぶんが喜んでいる

ということが相手に伝わった、共感したのを共感された(日本語ぇ)ということでもあるし。

 

 

んだが、その距離感があんま近いと。

ちょっと行きづらくなっちゃうほうで。

 

なんつうか、

「じぶんだけ優遇されてる(と感じられるようなことがある)」のは申し訳なくなっちゃうというか、じゃあほかのすべてのお客さんにもそういう風にすればいいじゃん?おもっちゃうわけで。

 

百歩ゆずって、お会計して「ありがとうございました」言われるときに。

接頭語として「いつも」がつく程度。

が、自分勝手に考えるじぶんとお店との最接近かつ適切な距離感であるようにおもう。

 

それでじゅうぶん伝わる。

 

 

んで。

一気読みしたなかでいまんとこいちばん刺さったのがコレ。

bunshun.jp

「怒りの瞬発力」って表題にもしちゃったケド。

これは「怒り」ってえといささか刺激的すぎる。

「瞬発力」のほうにウェイトがかかった話として捉えたんだが。

 

 

キクチも怒りの瞬発力は極めてないほうで。

それは上記リンクのネタバレになっちゃうケド。

けして温厚ってわけじゃなく、ただただ瞬発力がないというだけ。

 

なので、怒りの総量はおんなじか、よしんば「瞬発力ある」ひとよか多いのかもしれない。

後からこうすりゃよかったってモヤモヤしてるぶん。

 

 

おんなじように、会話とかSNSのやり取りで。

当意即妙な切り返しとかイカしたレスポンスをする能力が著しく低い。

そういうのができるひとをうらやましくおもうだけで。

指をくわえて見てるだけ。

 

それは。

怒りの瞬発力も切り返しの瞬発力も

いわゆる頭の回転速度の違いであり。

じぶんはスピード不足ってことを諦めてるから。

 

瞬発力がないせいで後からモヤモヤウジウジしてるじぶんの、つねに主導権を相手に握られてる感を「どうにかならねえもんか?」ってずっとおもっておって。

「スピードを上げればいい」って、隣の家みたいに自分の家の芝生も青くするみたいなことを考えてたときもあった。

 

 

ただ、これも性質の違いってだけとするならば。

スピード勝負の「キレたもん勝ち」的なことが必ずしもいいとはかぎらないはずで。

 

たしかにかに「瞬発力ある」ほうが見映えはするけど。

「瞬発力ない」なりのやり方もあるんじゃね?

 

このマンガを読んでたら、そういうふうにおもえてきた。

「じゃあ具体的にコウすればいい」ってのはない、ただのポエムなんだけどな!

 

なんつうか。

隣家の芝生をながめてるよか、手持ちの武器をいかに活かすかを考えたほうが実際的じゃね?っていうか。

そんなんようなことまで拡大解釈してみた。

 

(あと、クソいらねえ情報的にはきょう連続出走をとめた。)