キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

おお、滝だけに!(タキシタヒストリーその8)

このシリーズ、ラスト。

いままでさんざん、母方の親戚の歴史をほざいてきたが。

祖母の実家まわりのことだけで。

「じいちゃんは?」ってなりまさあな。

 

 

いや別に、じいちゃんの家庭がアレとかじゃなく。

じいちゃんはきょうだいのなかで、ぶっちぎりに末っ子だし。

実家が市内ではないから、ばあちゃんの実家にくらべて交流が薄いというだけ。

 

 

祖父は高等小学校を出て、浜松にいる親方に弟子入りして。

家具とか小物の木工職人をしてたらしい。

静岡の、浜松よりちょい東。

藤枝の生まれだってのを、小耳に挟んだことある。

 

今回最後の質問として。

伯母にそこも訊いてみた。

 

 

祖父は職人らしく、寡黙なひとで。

孫の前ではいつもタバコをすって、甘いものには目がない穏やかなひとで。

 

ばあちゃんに支配?されておって。

浜松に遊びに行くといつもだいたい、

ばあちゃんに怒られておった。

 

 

小学生のとき、夏休みの学校の宿題で。

「おじいちゃんやおばあちゃんに戦争の話を訊きましょう」ってのがあって。

おじいに兵隊に行ったときのことを訊いたんだが。

いま思えば、あえてだいぶすっとぼけたようなこと言ってたっけ。

 

でも。

何回目かの出征で、昭和19年だったかな?

インドネシアのパレンバンって激戦地に行ってて。

あまつさえ、生きて帰ってきたってんだから。

 

孫にはすっとぼけるしかないような。

凄惨な体験をしてきたんであろう。

 

 

ことほどさように。

いつもタバコをすってて、甘いものがありゃ満足なひとで。

寡黙な職人はむかしのことなんて喋らないから。

 

「じいちゃんはもとは藤枝のひとである」ぐらいしか知らなかった。

 

 

ので。

「じいちゃんは藤枝生まれなんだよね?」

伯母に訊いたらば。

 

「滝沢のひとだ」って言う。

 

よくわかんないけど、ググったら。

滝沢ってのは、藤枝よりちょっと内陸にある。

(いまは藤枝市だけど、当時はどうだか知らない)

 

滝沢川ってのが、町?村?を貫くように流れてて。

滝沢川には、文字どおり?「滝」があって(あったらしくって)。

 

「タキシタ」って苗字、

むかしからかっちょええなっておもってたんだけど。

1周まわって「おお! 滝だけに!」ってなった。

 

わかるかなあ?

この、当たり前すぎるゆえの盲点。

ど真ん中すぎて見逃しちゃうストライク。

 

 

上記したように。

親方が浜松にいるってんで。

浜松でおばあと出会い、結婚し、5子をもうけた、と。

 

滝だけに(←ワケワケメ)

 

 

。。。

 

 

せっかく8回もつづけてきたのに。

最後にクッソいらねえ情報をぶっこむ。

 

今回、伯母の話を訊けて。

祖父母階層のいろんなことを知ることができた。

 

祖母のほうが中心で、祖父のことははしょってきたが。

祖父の結婚後のことは、むかしちょっと訊いたことある。

 

四半世紀ぐらい前、祖父の米寿祝いのとき。

どういう経緯か、川崎のわが家に集まって。

いまはなくなっちゃったけど、玉川高島屋の地下にあった北浜っていう和食屋さんでやることになって。

(そのあと、キクチ家に流れてどんちゃん騒ぎすんべってダンドリで)

 

 

そんとき。

几帳面な茨城の伯父が、おじいから事前にヒアリングして。

「金作じいさんの軌跡」と銘打って。

B5紙1枚におじいの来し方をまとめてきてて。

 

それで、おじいの半生、アウトラインはつかめていた。

滝だけに(←ワケワケメ)

 

 

で、何でおじいの米寿祝いを鮮明に覚えてるかというと。

前日、キクチはオールして。

帰宅して30分か1時間ぐらい仮眠して、北浜に向かったからで。

 

前日こういう、ね(↓)

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