おなまえがわかるだけで、親近感みたいなものがグッと増す的には。
今回、祖母方の曽祖父母のなまえも。
伯母と話せたことで、判明した。
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ひいじいちゃんは「なおさく」っていうらしい。
石塚直作。
ひいばあちゃんは「きち」。
石塚きち。
いずれもキクチが生まれるずっと前に亡くなってるので。
遠い祖先として、認識の埒外にあったんだが。
知れば知ったで、なんとなく地続きっていうか連綿みたいなこと考える。
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祖母の実家は直作さんの代で和田って集落に越してきて。
ファーマーをしてたんだが。
(あ、やべ。伯母の話は貴重なのでメモとって訊いてたんだが)
(このころにはすっかり楽しくなってきて)
(キクチ一人で勝手にぐいぐい飲み出しっちゃってて)
(メモが途切れておる。。。)
直作さんは、なんだったけかなあ?
糸の撚り方だったか、地形の識別の仕方だっただか、
キノコにすげえ詳しいだっただか。
ともかく、何かの名人で。
近所のリーダー的な、みんなに頼られる人だったそうな。
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直作さんの最期。
母のきょうだいの長男が。
(母のきょうだいは男女女男女で)
(今回話してくれた伯母は長女、2番目)
祖母の実家に曽祖父をお見舞いに行って、話もして。
「じゃ、そろそろバスの時間だから帰るわ」
「おじいちゃん、また来るからね」
寝ちゃった曽祖父に告げて。
別室にいた大伯父大祖母にあいさつして。
家の前のバス停で待ってたら。
大祖母が血相変えて飛んできて。
「おじいさ、亡くなってる!」と。
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そういうふうに逝った曽祖父って、ある意味理想的な人生の仕舞い方だし。
そういう、人の最期の瞬間に立ち会えた伯父って、まあ、偶然のバッティングみたいな出来事ではあるにせよ、ある意味すげえ幸せなことだよな。
おもった。
おもいましたとさ。
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ただ、やっぱりキクチはまがぬけてるから。
それが昭和何年の出来事なのか。
よしんば、そんとき伯父が。
まだ中高生のときであったのか、もう少し長じたときのことであったのかすら。
メモってねえとか、なんなんだろうなw
ソコ、わりと重要じゃん。
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キクチは人の臨終に立ち会えたことはないんだが。
にょうぼうは、義母の最期の瞬間にたまたま病院にいた。
で、どうしても詳しくは話してくれないんだけど。
たとえばきょうび、病院のベッドで、その瞬間のある程度直前から。
もう昏睡してたりなんだりで。
ある種、心拍やら呼吸やらの数値で境いめが決まる。
的なことだとおもってたらば。
「最期の瞬間って、けっこう荘厳だった」言う。
(それ以上はやっぱり、何がどう荘厳なのかは言ってくれない)
まあ、じぶんのソノ瞬間に。
「おお、こういうことか!」っておもえばいいか!
ソノ瞬間は。
にょうぼうとかムスメっことか、
みんなに盛大に見送られたい気もする反面。
誰にも見られず、ひっそりやりたい気もする。
その場になってみないと、わかんねえ。