キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「くれてやる」

とはいえ、そろそろ
いつもの更新時間に戻さなくちゃな。

「とはいえ」が、どこからかかってきてるのか
まったくもって、わからんちん。

こんな誰も読まねえようなブログなんか
いつ更新しようとしなかろうと
どうっでもいいんだけどねっ。



いまから16~17年前だから
21世紀になるかならないかのころ
当時のカノジョと、浜松に遊びにいった。

浜松は母親のいなかで。

おれが子どものころ
休みのたんびに、浜松に遊びに行ってて。
それはそれは楽しい想い出しかなくて。

思い入れがけっこうあって。

そのカノジョに「浜松まつり」っていう
わりと有名な凧揚げ合戦(?)を
一度みてもらいたくって。

GWにクルマでまつりを観に行った。



泊めてもらったのは伯母(母の姉)の家。
それがまた、ものすごく歓迎してくれて。

あまつさえ、
「あの超絶クソブサで
クソほどモテねえヒロシだてらが、なんと
チャンネーをともなってやって来る」

ってのが超絶衝撃だったらしくって
浮き足だってたのかどうかは知らんが。

伯母がツアコンを名乗り出て
凧揚げはロンのモチとしてそこにとどまらず
鍾乳洞やら舘山寺やら、いろんなとこに
連れてってくれた。



GWだというのに、その年は
寒かったんだとおもう。

伯母はカノジョに、毛糸でもっこもこの
靴下を貸してくれた。

おかげでカノジョは、
こごえずに(?)浜松を堪能でけた。らしい。
帰り際「靴下、洗って返しますから」
というと、伯母。

「いいよいいよ、くれてやるよ!」



カノジョは生まれも育ちも東京で。
その親戚もだいたい都内にいるので。
方言っていう概念がない。

なんのことはない。
「くれてやる」って方言みたいなもんで。

「あんたが気に入ってくれたっぽいから
プレゼントするよ」
ぐらいのニュアンスなんだが。

「くれてやる体験」なんて
ミスチルの「名もなき詩」の
「この喉を切ってくれてやる」
ぐらいしかないし。

遠州弁って語気が東京より荒いしで。

「あんたが身に付けたもんなんか汚らしいから
もう、返してくれなくていいってことなの?」
「アタシ、嫌われてんの?」。

カノジョは度肝を抜かれた、と。
ビビり返った、と。



きのうからその伯母が
狛江の超絶豪邸に遊びに来てて。

「くれてやる」はもはや、
鉄板ネタみたくなってる。

「ぷぷ、くれてやるてwww」的な。



たしかにかに。

戦前生まれの伯母の遠州弁は
そうとうコッテコテ。
クセがすごい(超絶流行語)

おれは話の内容もともかく
言葉の響きが懐かしいんだが。
たぶん、いまの浜松の若い人(?)は
もうちょっとマイルドな遠州弁なはずで。



よけいわかりにくくなるかもしんないけど
わかりやすくたとえてみようとすっと。

東京(とか近辺)で生まれ育ったとしても。

おれらはわりと「標準語」っぽくって
親世代とかもっと上世代は
「江戸弁」っぽかったりすんじゃないすか。

「バカヤローコノヤロー」
「てやんでえバーローちきしょー」
「あさしひんぶん」

なんていうか、ビートたけしみたいな。
風呂の温度がデフォルトで熱湯コマーシャル?
みたいな。そういう。



。。。



伯母はあさってまでいて。
せっかくなので、
もっといろいろ話そうと目論んでる。

ただ、そのむかしのGW。

帰ろうとおもって靴を履いてると
玄関先で三つ指をついて、伯母。
「今後ともヒロシを末長くお願いします」

結婚なんかまだ、考えてなかったし
逆に、そんなものがチラついたりすると
照れるというか、どぎまぎする時期。

おれは心底、どぎまぎした。
「うげえ、おばさん、頼むからよしてくれ」
おもった。



ってことは、話したことないし
今回も話さないつもりだが。

まあ、カノジョがにょうぼうになって
15年になりなんとしてるわけで。
伯母にはいまもちょっと感謝してる。



不定期連載:きょうのいらねえ情報。

おおっ! その手が!
っていうか
そんな手があるのね。。。

※横浜出走予定も、ゆずれーる失敗した
水戸のチップ、まだ手元にアリマス!