「科捜研の女」ってドラマが大すきで。
みてるうちにそれはもはや。
その「大すき」は、ドラマがすきなのか、沢口靖子に見とれてるだけなのか、じぶんでもわからなくなってきちゃってるんだが、んなことはどうでもいいので、措いて。
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先週だったか、先々週だったかの「科捜研の女」で、割れ窓理論ってのが出てきて。
これが1つのブログネタになるのかどうかわかんないまま、割れ窓理論って言葉がどうも心に残っちゃったので、とりあえずノープランでものしとく。
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割れ窓理論ってのは、何も見ずに印象だけで書いとくとこういうこと。
脳内で噛み砕いた方向が合ってるんだかどうだかはわからん。
○何の変哲もないごく平和な町の廃墟。
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○ある日、その廃墟の窓ガラスがたった1枚、割れた。
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○廃墟なので、誰もその窓ガラスを修繕しないまま。
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○廃墟だし、窓も割れてるし、まいっかってんで、誰かがコンビニ弁当のゴミかなんかをその廃墟に捨てる。片付けるひとはいない。
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○めぐりめぐって、廃墟は不法投棄のすくつになる。
↓
○めぐりめぐって、町の治安が悪くなり。
↓
○やがて凶悪な犯罪につながる。
と。
ええっ!? これで合ってんのか?
まったくトンチンカンをカマしてやしないか?
まあいいや。
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「科捜研の女」は刑事ドラマなわけで。
この日のストーリーってのは、ベテランの域に達してるのに、かたくなに昇進試験を受けず、ヒラのおまわりさんに徹してる一人の男にフットライト。
要するに、何の変哲もない平和な町がずっと平和なのは、そのおまわりさんがごく地味に、日々すみずみにまで気をくばって、「たった1枚の割れ窓」すら見逃がさずいつづけてたからこそ、なんでしたとさ。と。
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と、ここまで書いて、
おのれのノープランがゆき詰まるw
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ええっと。
その「割れ窓」って、
ぼくたちあたしたちが生きてるなかで
クソほどたくさん、遭遇してるやつじゃん。
あまつさえ、えてして。
のちのち、結果論的に
「ああ、あれが大きな岐路だったのねん」
って気づく&悔やむ、的なやつじゃん。
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なんつうか、ですね。
のちのち結果論的に見直して
悔やむ割れ窓なんて、誰でもいくらでも、なんとでもできるもんじゃないすか。
ぼくたちあたしたちの身の周りで起きることって、しょせん凶悪犯罪までは至らないっていうか、リスタートしうるていどのこと、なはずで。
たった1枚の割れた窓を、いまさらかもしんないけど修繕してみたら、あるべきもとのすがたの平和な町、大復活パンパカパーン!
的なことにもなりうる。
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「吉日」っていうように。
たとえどんなに日が経っていようと、割れた窓ガラスを発見しちゃったその日は、考えようによっちゃ、ひるがえっておのれの吉日にできうるしゅんかんでもあるわけで。
大チャンスのはじまりかもしれないわけで。
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って、あいかわらずノープランで
あてどなく書いてたら。
♪あら、こんなところに牛肉がっ。
https://warcolini.tumblr.com/post/189059467836/私がマラソンをやってよかったと思うのは出来ることをコツコツと積み上げれば必ず結果がついてくるというこwarcolini.tumblr.com
もうね。心根にガツンとくるね。
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。。。
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きょうはさいしょ、下北沢のウタゲのことを書いてたんだが。
どうもうまくまとまりそうもないので、割れ窓にさしかえた。
その下北沢でマルコリーニは、ことあるごとにおっさってた気がする。
「おめえキクチよお。。。」
あ、まちがえちったコッチだ。
なんなんだこれは。
ぽえむなのか? ぽえむなのか?