キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

ブログの禁じ手

って逆にいうと。
「書いててじぶんが楽しいかどうか」
に尽きるとおもうんすよね。

その「楽しい」ってのは。

おもしろかったことを記録しときたいとか。
考えてることをうまくまとめられたとか。
言いたいことを言えたとか。
調べたことをうまくまとめられたとか。
がんばった成果を出せたとか。
うまく走れたことをドヤれたとか。

「おれかっけえ」を誇示できたとか。

売れたとか
収入が増えたとか
アクセス数があがったとか
いいね的なものがいっぱいもらえたとか
コメントがいっぱい入ったとか
バズったとか。

そもそも、書くことが楽しいとか。

あるいは、ランキングがどうだとか承認欲求を満たせたとか賛同されたとか誰に勝ったとか負けたとか、まあ、それぞれなんだろうけど、ともかく本人が楽しいとおもえればいいわけで。

表に返すと。
禁じ手は「じぶんがつまらない」
でしかなくて。

じゃあ、どうやって「楽しく」するか。
というか「楽しくありつづけるか」。

ってのが(たぶん)禁じ手をくり出さない秘けつとなる。

楽しくありつづける
=禁じ手をくり出さない

ってのはいろんな要素のバランスなわけで、どの要素をどうバランスさせるかってのも、まさにひとそれぞれなんだろうし。

そここそが楽しさ・おもしろさなんだろう。

ナドト、大上段なことを申すわけです。

でもいちおう、(ログが残ってるだけでも)この辺境クソブログは11年半つづいてるわけだし、それはどちらかといえば、わりとつづいてきてる部類に入るほうだろうし。

なんらか、語ってもいいんじゃね?

だからってえばれることでもねえけど、そんだけつづいてきたってことはやっぱり、書いてて楽しかったからで。

そういうふうに楽しくありつづけるには。
べつに意識してるわけじゃないけど、触れないようにしたり、イッチョカミしたいのにせずに耐えたり、見ないようにしたり、時間の無駄にしかならないものは見ないで済ませてきたり。

要するに、避けてきたことがあるんだろうね。

避ける基準は、まったく論理的なわけではなく。
「あ、そっちはちょっと。。。」
っていう、ロジックの粋を結集したザ・ヤマカンに忠実に従いつづけてきただけなので。

「(こんだけつづいたってことは)キクチのそこらへんの察知能力、回避能力。なかなかのもんでしょ」

自画自賛しかけたものの。

それなりの地雷を踏んでもきたし。たとえば、2年前にツイッターで前のアカウントを捨ててまったく新規にはじめたのも、ワケワカメな地雷をモロに踏んじゃったからなわけで。

察知も回避もできてねえじゃねーか。

以下、いらねえ情報だけど
キクチの「ブログの禁じ手」をまとめてみる。

○じぶんが読みたいことを書く。
○にょうぼうとムスメっこ。ネタは出すが面が割れる写真は出さない。
○みえすいたキレイゴトを言わない。
○「すき・いい」とおもったことは、ちゃんと「すき・いい」って言う。
○公開してる以上、不特定多数に読まれることは意識しないわけではないが、だからといってひとに読まれることを意識しては書かない。
○でも「すき・いい」は対象に読んでくれっておもいながらラブレター書くように書く(シリメツぇ)。
○不特定多数に向けて「がんばって」「おつかれさまでした」とか言わない。
○「嫌い」には触れるが「無関心」には触れない。
○どうなの?っておもったことは言う。
○イッチョカミはするけど、ガチでめんどくさそうなことは近づかない(シリメツぇ)。

○慮りはするが、阿るようになったら辞める。
○つごうが悪くなったら潜んで、つごうのいいときだけ出てくるようになったら、ソッコー辞める。
○もし辞めるときはわざわざ「辞めます」とか宣言しない。

からげっとまあ、グダグダぇ。。。