キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「ほんとうに気が重い儀式なんだよ」

今朝、家電が鳴ったので何かとおもったら
「吉田先生が亡くなったって」
と、電話に出た母。

大物が亡くなったというニュースがあると
「一つの時代が終わった感パねえ」
的な物言いをよく見かけるが、

じぶんにとって、まさにそんな感じ。

というわけで。
いらねえ自分語りをしてみる。

吉田鷹村先生は父親の師匠で。
父親はものすごく尊敬をしてて。

おもい返せば
「今風にいえばストーカー」
ぐらい身も心もがっつり師事してて。

おれはというと。
書道はさっぱりわかんねえし
ビタ一文興味ねえので、ショージキ

「ものすげえオーラのおっかないひと」

っていうイメージしかなくって。

子どものころは、夏になると
家族で先生が主宰する会
(父もロンのモチ、がっつり所属)
の展覧会に出かけてたんだが。

そんなん感じで、挨拶以上に話した記憶はない。
とても近寄れなかった。

こうやって。
雲をつかむような話ばっかしても
しようがないので。
もっと直接的なエピソードをさらすと。

父親にとって吉田先生はそんな存在なので
おれの名付け親のひとりでもある。

そこらへん、だいぶ後年、
ブログをものしたことがあったっけ。

www.kikuchiroshi.com

いらねえ情報的には。

おれのおなまえ最終候補。
「ヒロシ」か「たかし」
の二択だったそうだ。

もしおれが「ヒロシ」じゃなかったら
「たかし」だったわけで。

こじつけに近い後付けとしては。
ブログ的に、なんらかの
ディスティニー的なものを
感じなくもないが。

じゃあ、ヒロシとたかしで
なんでヒロシになったのかは、わからん。
知るよしもねえw

。。。

時は流れ。
このクサブサ無モテだてらに
奇跡的に結婚することができて。

ムスメっこが産まれたからってんで
練馬からにょうぼうの実家のある
杉並に引っ越して暮らしてた
200X年のある日。

家に小包が届いた。

差し出し人をみると、吉田先生。

ビビって開封すると、
1枚の色紙が入ってた。

書道はまったくわかんねえが
たぶん、おれに子どもがでけた
(父に初孫がでけた)ってんで

そのお祝いをくだすったんだろう。
(上記リンクの「家宝」、な)

それはいまでも
家に大事に飾ってある。

あ、まだ表題の本題にはたどりつかない。

上記リンクのくり返しになるが。

ソッコーで父に
「吉田先生からいただいた」
電話したら。

おれ以上に父親が大興奮。

「先生はそういうことは絶対にしないひとで」
「そんなのはいままで見たことも聞いたこともないし」
「たとえば、ぼくに長男(おれ)が生まれたときすら」
「そんなことは、まったくなかった」

と、言う。

「それほど、この色紙をいただいたことはすげえことなんだ」

父親が実際にそう言ったか、
おれがつごうよく行間を
補完したのかは忘れたが。

ともかく「相当なレアケースである」
「得がたいことである」
ということはよおく理解でけた。

それは、
てめえ勝手につごうよく解釈しますれば。

初孫がでけたってんで、父親。
どんだけ有頂天で先生に報告したんだよ
ってさまが、ありありと想像でけるし。

先生からしてみれば。
ふつうなら絶対にやらないことをするぐらい
弟子(父親)を大切にしてくれてる
わがことのように喜んでくだすってる

ってことが、雄弁に物語られていた。

逆説的に言うと。
そういうひととめぐり会えた父親は
超絶ラッキーだなって、おもった。
おもいましたとさ。

これも余談だな。

13年半前。
父親が亡くなった夜が明けて。

先生のお宅にいの一番に電話で報告すると
先生はためいきにもならないためいきを
繰り返すばかりで。

はあああああ、はああああ、と。

無言のためいきは2分ぐらい続いただろうか

逆説的に言うと。
そういうひととめぐり会えた父親は
超絶ラッキーだなって、おもった。
おもいましたとさ。

これも余談だな。

。。。

嘘のような話なんだけど。

父親は、じぶんの個展が終わった日。
正確に言うと
個展の千秋楽が明けた翌日の0時07分に
その生涯の、幕を引いた。

まだ死後硬直がはじまってない、
まだあたたかくて柔らかい、
ほんの数十分前までそこに魂が宿ってた
そんな肉塊をさすりながら。

「じぶんの始末を終えて逝くとか」
「コレ、カッコよすぎねえか」

「なんならちょっと、キザったらしいよね」

病室で、母親とそんなこと話してた。

www.kikuchiroshi.com

ううむ。
ちょっとこのエントリー。
じぶんのなかでセンチになりすぎとる。

センチがゆき過ぎとる。

でも、今回の訃報。
冒頭でほざいたように
「一つの時代が終わった感パねえ」
なんだけど。

反面、こんな言い方はアレだけど。
「100近くまで人生突っ走ったんだから
もうむしろ、祝福すべきことがらじゃね?」
っていう気持ちも、率直にある。

まあいいや、本題。

その、結果的に最後となった
父の個展の数ヶ月前。

実家にあそびにゆくと。
「きょうは吉田先生のとこにいってきた」
父親が言う。

個展に出す作品がひととおり、書きあがった。
ってんで。

もうだいぶ、つらい状態になってたのに
埼玉の奥のほうにある吉田先生のお宅に
出品する作品を見てもらいにいったという。

これは、欠かせない儀式なんだそうで。

当時、60歳を超えてた父親。

一般企業でいえば、定年してるし
自由業っていうフィルターを通しても
もういい加減、イッチョマエなお年頃で。

老成するほど値打ちがでる世界ったって
それなりに積み上げてきたものはあるし
お弟子さんもそれなりにいる階層。

指導を仰ぐってより、
自分が得たものを次世代に伝えて
文化を引き継ぐ立場。

でも、父親は。
個展に出品する作品を
師匠に見てもらいにゆく。

言っても、上記したように
すでにそれなりの地位も実力もあるんだから。

それって、ただのセレモニーでしょ。
まあ、ほぼ何のアレもねえんだろうケド
いちおう師匠の顔を立てる
的なことなんでしょ。

ビール片手に、軽口を飛ばしたら。

「いや、ほんとうに気が重い儀式なんだよ」

「先生はね、何でそれを書こうとおもったか
それをどういう気持ちで書いたか
じぶんがほんとうに全力をそこにぶっつけたか」

「あるいは、ここは自信なさげでエイヤーとか
こんなもんだろってやったかもしんないとことか」

「そういうとこもぜんぶ、
見透かされちゃったりしてね」

「ってのは、ぼくの思い込みかもだけど」

「先生の書斎で、作品を広げて」

「先生とマンツーで対峙するとね」

「その緊張感は
学生のときと、まったく変わらない」

「で、先生、あんなひとじゃん」

「今回も『ま、こんなものかな』
いやあほんと、腰、抜けるよね」

「優良可でいえば、
優なのか良なのか可なのか、わからない」

「そりゃもう。
ありがとうございました。
じゃあ、これで今回は勝負します。
って言うしかないよね」

とか、言ってた。

先生の訃報に触れて。
そんなんことどもがキョライした。

吉田先生のおかげで
父はずっと緊張感をもった
幸せな自由業でいれたんだろう。

おれにも、幸い。
すぐ横のデスクには
年齢的にふた回り上の
いまも現役バリバリのボスがいらして。

駆け出しのころから
2冊目のゴースト本を書くころまでは、逐一
ボスに原稿チェックをしてもらってた。

この儀式、マジ、ブルーで。

よしんば絶対的な自信があっても
それはそれは超絶緊張する
気が重い儀式だった。

なまじっか、自信があるときなんかに
「ここはこうしたほうがいいんじゃないかな」
って言われると。

その指摘がすべてズバリなだけに
底の知れない絶望感をおぼえたりもした。

でも、もうだいぶ前から。
おれの思い上がりか知んないケド。

ボスの原稿チェックを経ずに出しても
クライアントなり読み手に
それなりに満足してもらえるものが
できるようになった。

ので、ボスチェックは
しばらくやってもらってない。

ううむ。
それで、ほんとうにいいのかな?

クソめんどくさくて、超絶ブルーな
ほんとうに気が重い儀式なんだけど

そういうスジっていうか
ステップ的なものってのは
踏んどく緊張感にこそ、意味がある。

みたいなことも、あるんだとおもう。

明日、出す予定の原稿。
ボスに見せてみようかな。

って考えたらいきなり、
うっわー、ほんとうに気が重くなる。

きょう、確実に一つの時代が終わった。

でもその時代を礎に、
さらにまた新しい一つの時代が、始まる。

ってことも、あんのかもしんないね。

うっわー。(長え)