今朝、家電が鳴ったので何かとおもったら
「吉田先生が亡くなったって」
と、電話に出た母。
大物が亡くなったというニュースがあると
「一つの時代が終わった感パねえ」
的な物言いをよく見かけるが、
じぶんにとって、まさにそんな感じ。
*
というわけで。
いらねえ自分語りをしてみる。
*
吉田鷹村先生は父親の師匠で。
父親はものすごく尊敬をしてて。
おもい返せば
「今風にいえばストーカー」
ぐらい身も心もがっつり師事してて。
*
おれはというと。
書道はさっぱりわかんねえし
ビタ一文興味ねえので、ショージキ
「ものすげえオーラのおっかないひと」
っていうイメージしかなくって。
*
子どものころは、夏になると
家族で先生が主宰する会
(父もロンのモチ、がっつり所属)
の展覧会に出かけてたんだが。
そんなん感じで、挨拶以上に話した記憶はない。
とても近寄れなかった。
*
こうやって。
雲をつかむような話ばっかしても
しようがないので。
もっと直接的なエピソードをさらすと。
父親にとって吉田先生はそんな存在なので
おれの名付け親のひとりでもある。
そこらへん、だいぶ後年、
ブログをものしたことがあったっけ。
*
いらねえ情報的には。
おれのおなまえ最終候補。
「ヒロシ」か「たかし」
の二択だったそうだ。
もしおれが「ヒロシ」じゃなかったら
「たかし」だったわけで。
こじつけに近い後付けとしては。
ブログ的に、なんらかの
ディスティニー的なものを
感じなくもないが。
じゃあ、ヒロシとたかしで
なんでヒロシになったのかは、わからん。
知るよしもねえw
*
。。。
*
時は流れ。
このクサブサ無モテだてらに
奇跡的に結婚することができて。
ムスメっこが産まれたからってんで
練馬からにょうぼうの実家のある
杉並に引っ越して暮らしてた
200X年のある日。
家に小包が届いた。
*
差し出し人をみると、吉田先生。
ビビって開封すると、
1枚の色紙が入ってた。
書道はまったくわかんねえが
たぶん、おれに子どもがでけた
(父に初孫がでけた)ってんで
そのお祝いをくだすったんだろう。
(上記リンクの「家宝」、な)
それはいまでも
家に大事に飾ってある。
*
あ、まだ表題の本題にはたどりつかない。
*
上記リンクのくり返しになるが。
ソッコーで父に
「吉田先生からいただいた」
電話したら。
おれ以上に父親が大興奮。
「先生はそういうことは絶対にしないひとで」
「そんなのはいままで見たことも聞いたこともないし」
「たとえば、ぼくに長男(おれ)が生まれたときすら」
「そんなことは、まったくなかった」
と、言う。
*
「それほど、この色紙をいただいたことはすげえことなんだ」
父親が実際にそう言ったか、
おれがつごうよく行間を
補完したのかは忘れたが。
ともかく「相当なレアケースである」
「得がたいことである」
ということはよおく理解でけた。
*
それは、
てめえ勝手につごうよく解釈しますれば。
初孫がでけたってんで、父親。
どんだけ有頂天で先生に報告したんだよ
ってさまが、ありありと想像でけるし。
先生からしてみれば。
ふつうなら絶対にやらないことをするぐらい
弟子(父親)を大切にしてくれてる
わがことのように喜んでくだすってる
ってことが、雄弁に物語られていた。
逆説的に言うと。
そういうひととめぐり会えた父親は
超絶ラッキーだなって、おもった。
おもいましたとさ。
これも余談だな。
*
13年半前。
父親が亡くなった夜が明けて。
先生のお宅にいの一番に電話で報告すると
先生はためいきにもならないためいきを
繰り返すばかりで。
はあああああ、はああああ、と。
無言のためいきは2分ぐらい続いただろうか
逆説的に言うと。
そういうひととめぐり会えた父親は
超絶ラッキーだなって、おもった。
おもいましたとさ。
これも余談だな。
*
。。。
*
嘘のような話なんだけど。
父親は、じぶんの個展が終わった日。
正確に言うと
個展の千秋楽が明けた翌日の0時07分に
その生涯の、幕を引いた。
まだ死後硬直がはじまってない、
まだあたたかくて柔らかい、
ほんの数十分前までそこに魂が宿ってた
そんな肉塊をさすりながら。
「じぶんの始末を終えて逝くとか」
「コレ、カッコよすぎねえか」
「なんならちょっと、キザったらしいよね」
病室で、母親とそんなこと話してた。
*
ううむ。
ちょっとこのエントリー。
じぶんのなかでセンチになりすぎとる。
センチがゆき過ぎとる。
でも、今回の訃報。
冒頭でほざいたように
「一つの時代が終わった感パねえ」
なんだけど。
反面、こんな言い方はアレだけど。
「100近くまで人生突っ走ったんだから
もうむしろ、祝福すべきことがらじゃね?」
っていう気持ちも、率直にある。
まあいいや、本題。
*
その、結果的に最後となった
父の個展の数ヶ月前。
実家にあそびにゆくと。
「きょうは吉田先生のとこにいってきた」
父親が言う。
個展に出す作品がひととおり、書きあがった。
ってんで。
もうだいぶ、つらい状態になってたのに
埼玉の奥のほうにある吉田先生のお宅に
出品する作品を見てもらいにいったという。
*
これは、欠かせない儀式なんだそうで。
当時、60歳を超えてた父親。
一般企業でいえば、定年してるし
自由業っていうフィルターを通しても
もういい加減、イッチョマエなお年頃で。
老成するほど値打ちがでる世界ったって
それなりに積み上げてきたものはあるし
お弟子さんもそれなりにいる階層。
指導を仰ぐってより、
自分が得たものを次世代に伝えて
文化を引き継ぐ立場。
*
でも、父親は。
個展に出品する作品を
師匠に見てもらいにゆく。
言っても、上記したように
すでにそれなりの地位も実力もあるんだから。
それって、ただのセレモニーでしょ。
まあ、ほぼ何のアレもねえんだろうケド
いちおう師匠の顔を立てる
的なことなんでしょ。
ビール片手に、軽口を飛ばしたら。
*
「いや、ほんとうに気が重い儀式なんだよ」
「先生はね、何でそれを書こうとおもったか
それをどういう気持ちで書いたか
じぶんがほんとうに全力をそこにぶっつけたか」
「あるいは、ここは自信なさげでエイヤーとか
こんなもんだろってやったかもしんないとことか」
「そういうとこもぜんぶ、
見透かされちゃったりしてね」
「ってのは、ぼくの思い込みかもだけど」
「先生の書斎で、作品を広げて」
「先生とマンツーで対峙するとね」
「その緊張感は
学生のときと、まったく変わらない」
「で、先生、あんなひとじゃん」
「今回も『ま、こんなものかな』
いやあほんと、腰、抜けるよね」
「優良可でいえば、
優なのか良なのか可なのか、わからない」
「そりゃもう。
ありがとうございました。
じゃあ、これで今回は勝負します。
って言うしかないよね」
とか、言ってた。
*
先生の訃報に触れて。
そんなんことどもがキョライした。
吉田先生のおかげで
父はずっと緊張感をもった
幸せな自由業でいれたんだろう。
*
おれにも、幸い。
すぐ横のデスクには
年齢的にふた回り上の
いまも現役バリバリのボスがいらして。
駆け出しのころから
2冊目のゴースト本を書くころまでは、逐一
ボスに原稿チェックをしてもらってた。
*
この儀式、マジ、ブルーで。
よしんば絶対的な自信があっても
それはそれは超絶緊張する
気が重い儀式だった。
なまじっか、自信があるときなんかに
「ここはこうしたほうがいいんじゃないかな」
って言われると。
その指摘がすべてズバリなだけに
底の知れない絶望感をおぼえたりもした。
*
でも、もうだいぶ前から。
おれの思い上がりか知んないケド。
ボスの原稿チェックを経ずに出しても
クライアントなり読み手に
それなりに満足してもらえるものが
できるようになった。
ので、ボスチェックは
しばらくやってもらってない。
*
ううむ。
それで、ほんとうにいいのかな?
クソめんどくさくて、超絶ブルーな
ほんとうに気が重い儀式なんだけど
そういうスジっていうか
ステップ的なものってのは
踏んどく緊張感にこそ、意味がある。
みたいなことも、あるんだとおもう。
*
明日、出す予定の原稿。
ボスに見せてみようかな。
って考えたらいきなり、
うっわー、ほんとうに気が重くなる。
*
きょう、確実に一つの時代が終わった。
でもその時代を礎に、
さらにまた新しい一つの時代が、始まる。
ってことも、あんのかもしんないね。
うっわー。(長え)