キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

きょうの朝ドラの感想

朝ドラ「虎に翼」の話なんすけどね。

きょうの話はヒロイン・寅子の大学の同級生の死をめぐる、同級生の話で。

その描き方をめぐって、ネットが沸いた。

 

アウトラインを自分勝手にかいつまむと。

(キクチの記憶頼みなので細かいとこは間違ってるかもしんない)

(知ってる人は次の*までとばしてくれい)

 

 

亡くなった同級生・花岡の死因は餓死。

戦後、花岡は東京地裁の判事としてヤミ米とか、いわゆる正規の流通経路を経ていない食糧の摘発を担当してて。

生まじめな花岡は職業的責任感から、自らもヤミ米とかには一切手を出さず、でいて現実的には配給?だけでは足りなくてどんどん痩せ細ってゆき、悲劇的な最期を迎えた。

(これは実話をベースにしているエピソード)

 

ヒロイン・寅子はロンのモチ、すんげえショックを受けたりしてて。

 

かたや、街角で同級生の轟とよねが再会する。

視聴者的には、インパクトのあるキャラだった2人。

真っすぐである意味不器用な漢・轟は兵隊に取られ。

寅子の親友、よねは東京大空襲で行方不明になってたので。

「生きてたんだ!」って喜びが先に立つわけで。

 

。。。あ、このペースでいくとクソ長くなるのではしょると。

(話の流れをただ雑になぞるので、細かい大切なとこもはしょる)

 

「おまえが花岡に対して抱いてたのは、友情というより恋愛感情だったのでは?」

花岡の訃報に打ちひしがれている轟によねは問う。

カフェで働きながら大学にかよってたよねは、これまで男女の色恋沙汰を数えきれないほど見てきたから、そういう気持ちの機微はだいたいわかるんだって言う。

 

いま風に言うと自らの性的趣向をはっきりとは自覚してなかった轟は、うすぼんやりとそうなのかもって自覚しながら、花岡の死に慟哭しつづける。

(そのあとももう少し話はつづくんだが、省く)

 

とまあ、半年間にいくつかあるすげえ重要な回の間違いなくひとつ。

 

 

↑キクチのあらすじ、雑いにもホドがあるな!

 

 

ネットが湧いたのは、轟の性的趣向が男性にある(のではないか)ということを明確した点について。(「男性」じゃなくて「花岡に対してのみ」かもしれんが)

 

「いまのご時世がら別にいいじゃねえか」って意見もあれば。

「わざわざLGBTQ的なものをぶっこまなくてもよかったんじゃね? そうだとしてももっとボカすとか、人間愛みたいなもっと大きな意味合いで表現してもよかったんじゃね?」って意見もあって。

 

賛否両論巻き起こったので、脚本家がきょう描くに至った考えをツイッターで表明までした。

 

 

キクチがリアルタイムでドラマを観てての第一印象は後者。

「わざわざLGBTQ的なものを持ち出さなくてもよくね?」だった。

ただ、これまでの物語のもろもろの経緯を考えると、こうするのが自然だったのかもなとおもう。(いちばんいいとは思わないけど、モアベターではあるという意味合い)

 

もろもろイコール(これもごく大雑把に挙げると)。

・戦前戦中の男尊女卑的な社会構造がこれまで描かれ。

・女性は結婚したらあらゆる権利を取り上げられる的なことも民法に明記されてたっけ?

・そこから戦後の新憲法の「性別や国籍・・・によらずみんな平等」的な記述に胸を躍らせつつ、現実とのギャップを埋めようとしてるとこ。

・話が前後するが、よねは戦前からずっと男性的なかっこうをしてた。つまり、男女ではなく一人の人間として社会と勝負しつづけ(ようとし)ておった。

 

つまりこれって、いかにも男臭い轟の性的趣向が男性であったとしても。

それとて、逆に?「性別や・・・によらずみんな平等」な社会になったんだよ今は。ってことを言ってるわけで。

 

上記ツイッターで脚本の人は「透明性」って言葉をつかっていて、キクチはスカタンだからその透明性ってのが何を意味するのか実はよく理解できなかったんだが。

 

たぶん、LGBTQなことにことさらスポットライトを当てるみたいないかにもネットが湧く脊髄反射のようなこと?じゃなく、そういうのがあるのは前提として物語を進めている(のだから、そういうネタが出てくるのも当たり前じゃん?)っていう、より視座の高い表現をしている/したいってことなんじゃないかなあとおもった。

 

↑キクチ、文章へたすぎてわかりづれえ!!!!

もうなんか、最近ますます文章がへったくそになっててるな。はどうでもいいとして。

 

 

ただ、上記したようにやっぱり「わざわざ出さなくても」とはまだちょっとおもってて。

 

それは、この「虎に翼」が始まったころから感じていた日常の描写が、戦前だからどうしても女性が低く見られてる的なことになるのを。

それはただの舞台設定?っていうか時代考証的なもの?なのに。

必要以上にフェミ的な、令和の価値観で騒ぎたい層にわざわざ燃料を投下しただけみたいな感じになってたのが。

 

そうやって単純にストーリーを楽しみたいのに水をぶっかけられるのが、ちょっとだいぶクソうっとうしくて。

いや、クソうっとうしいというのは、制作側に対してではなく騒ぎたい層側に対して。

 

だからこそ、もう少し「言わずに言う」描写はできなかったものかともおもわざるをえないわけで。

 

 

。。。ああ、このエントリー。キクチのクソどうでもいい考えをちょっと前に出しすぎちゃったかなあ? まあいいや。

 

性自認、性的趣向あんど実際の身体的性別も含めた性差って意味では。

男装し、男性社会と張り合ってこうと肩肘張りまく(るゆえ、司法試験を落とされまくってるけどチャレンジしつづけて)るよねさんってのは。

ほんとうは今回登場してる女性のなかで、いちばん女性らしい女性だとおもうのね(とか言ったら怒られちゃうんだろうか?)。

 

とにかく、轟とよねさんは合わせ鏡みたいなとこがあるから。

今回の轟のくだりはそこらへんのつじつまが合ったような気がして、よけい肚に落ちたっちゃ落ちた。