キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

生きざま、みたいなこと

さっき帰り道に「18年前のいまごろは荻窪の駅ビルで飯を食ってたなあ」思い出した。

3/27は父親の命日である。

 

 

前にも書いたこともあるかもだけど、供養代わりにほざく。

 

2006年は3/26まで1週間、銀座で父の個展をやっておって。

(正確に言うと、華道をやってる知り合いの超絶セレブなパトロンオクサマとの2人展)

そのころもう父は身動きができなくなってて入院してたので。

期間中は、母とおれのどちらかが画廊と病院にいることにして。

 

個展の最終日は、父がかわいがっていた後輩さんとか茨城の伯父一家とかいっぱい来てくれて、チョーいい感じで大団円を迎えた。

 

上記したように、母とキクチはすれ違いだったのでひさびさに会って「何とか乗り切ったね」って、明日から父の看病に専念できることにちょっとホッとしてたりして。

 

みんなで丸の内線に乗って、父が入院する荻窪の病院に行き。

父も個展がぶじ終わったことと、みんなが病院に来てくれたことを喜んで、ものすんげえごきげんで。

茨城の伯父が図録を片手に、作品の解釈や思い入れや、どうやって価格をつけるのかみたいな話を興味津々な感じでひとつひとつ訊いてて。

父がひとしきり説明してるうち、面会時間が終わったので。

 

「きょうの講義はここまで!」父はごきげんでそんなことほざいて。

じゃあまた明日ね! って病院をあとにして。

せっかくだからみんなで飯を食おうってなったのが、冒頭の駅ビル。

 

(なので公式には?)

(父の最期の言葉は「きょうの講義はここまで!」)

 

(なんだけど)

(キクチはみんなで病院の階段を降りてるとき、もうちょっと父と話したくて)

(忘れ物をしたふりして、父のところに戻り)

(「おお、どうした?」なんて言われて)

(明日からまたいっしょにがんばろうなどとほざき)

(「ありがとう、またね」って病室を出た)

(のが、ホントに最期の最期だったりする)

 

そんで楽しく飯を食ってめいめいが帰宅し。

キクチはそのころ、病院からそんなに遠くないにょうぼうの実家にマスオさんしてたんだが。

 

23:30ぐらいだったかな?

帰宅してお風呂から上がり、ほっと一息、一番搾りをぷしゅして口をつけようとしたちょうどそのとき。

病院から電話がかかってきて。

 

原チャリを飛ばして0:15ごろ病院に駆け込んだらば。

ついいまさっき、0:08に父は旅立ったということであった。

 

「てめえの個展の千秋楽の日が過ぎた直後に逝くって、話として出来すぎてるよね。父ちゃんカッコよすぎるよね?」

が、最初にキョライした率直な感想だった。

 

 

こないだ、こんな写真を見つけた。

 

その前の年の晩夏、亡くなる半年ぐらい前。

会長をやってた同人の展覧会のときの1枚。

池袋の芸術劇場だったかな?

 

こんころはすでに病気であることはわかってて。

でいて、まだほぼ自覚症状がないというとき。

 

 

母が言うには。

春にガンの告知を受けてからしばらくは落ち込んでて。

一回だけ、ものすげえ取り乱したことがあったらしい。

ただ知ってるかぎり、以後、亡くなるまでずっと冷静というか平穏なままだったんだよな。

 

悟りを開いた的な?

 

 

何を言いたいかというと。

死にざま=生きざまっていうか。

背中合わせみたいなもんで。

 

たぶん父のこの最期のほうって、人の死にざまの理想型の、いくつかあるうちの一つだとおもうのね。現役バリバリなまま逝くとか。

 

あるいは、穏やかに朝起きてこないなあとおもったら逝ってたとか。

現実はなかなかそうはいかないじゃないすか?

その1点をもっても、父をひととして尊敬できる。

 

臨終後、対面していちばんビビったのは。

父が顔面に満面の笑みをたたえてたということ。

「ああ、このひとは一点の悔いなく生き切ったんだなあ」ってのが、何よりも雄弁に物語られてるような気がした。

 

ちょっと遅れて病院に到着した母なんて。

「ずるい」とまで言ってたっけ。

 

。。。

 

あ、ふだんは割と話を盛ったりするときもあるけど。

今エントリーはいっさい盛ってません。

むしろどちらかというと、思い入れが強すぎる出来事なのでじぶんなりにおもくそ抑制しようと、はしょってはしょって書いてる。

まあでもやっぱりコウ、とりとめがなくなっちった。

 

とか、クソどうっでもいいな!!!

どっちみち、ムダに長えし!!!

 

 

。。。

 

 

いらねえ情報的には。

3/27の夜、一族の菩提寺?を訪ねてお坊さんに葬儀関連の一通りをお願いしたんだが。

通夜のときに出てきた戒名は「釈鳴鳳」。

 

上の写真(の濃紺な淵の掛け軸)にあるように、父の雅号(ペンネーム)は「鳴鳳」なので。

(「釈」は浄土真宗の戒名の頭には定型的につけるものだから)

「まんまじゃねーかwww」

「戒名料、けっこう出したのになwww」

ズッコケつつ。

 

あまつさえ、この雅号って父が高校生のときじぶんで付けたんだって本人から聞いてたから。

要するに、父の一生を最も端的に表す2文字だから。

そういうのもひっくるめて、「住職はあえて1周まわって父ちゃんに最も適った戒名をつけてくだすったんだな!」って、深読みのあまり甘甘評価な納得感で一同が包まれちゃって。

 

場のムードの支配力ってすげえな!

ともおもった。

おもいましたとさ。

 

 

(そしてできそこないの愚息はいまさっき、4月に走るつもりだったマラソンをDNSすることにした)