きょう3月10日はいとこの命日。
2013年に突然いなくなり、もう11年経つ。
で、亡くなった現場が超絶豪邸からそんなに遠くないので。
ジョギングしてって祈りでも捧げてこようとおもってたんだが。
なんとなくかったるくて、けっきょく行かなかった。
今年はおしごとに忙殺されてるわけでもないし。
7k上流まで往復してくるだけの脚力的な不安があるわけでもない。
にもかかわらず、「なんとなくかったるい」という理由で行かなかったことにちょっといろいろ考えた。
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考えたっつっても広くも深くもないことで。
「きょう行かなかったことは、ジョギング習慣的にあるいはいとこに対する想いが軽くなっちゃった的な意味ではよくないのかもしれない」
「が、いちがいによくないとも言い切れないのかもしれない」と。
なんつうか。
現世に生きさらばえている者が、いつまでもいつまでも旅立った者を想い入れていることは、重たさって意味ではもういいよって感じなのかもしれないし。
きょう、不本意ながら現場に行けなかったことは、考えようによっちゃおれにとっても彼にとっても解放って言えなくはないだろうか?
みたいなこと。
クッソ浅えぇ。。。
いや、来年以降はたぶんまた行くし。
これまでみたく、何らかの節目にはちょくちょく報告しに行くんだろうケド。
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かたや、今年の正月だったかな。
彼の母校が花園(高校ラグビー)でひっさびさにベスト8まで勝ち進んだので、テレビで試合を観ながらネットをまさぐってたら。
学校のwikipedia、OB欄から彼の名前がなくなっていることに気づいた。
なんでだろう?
そういうふうに、年とともに風化しちゃうのは仕方がないことなんだろう。
でも、彼の存在が忘れられちゃうのはさびしいし、まだちょっと早いような気がするので、コウ取り沙汰してみた。