キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「一念、岩をも通す」みたいなこと

明けてきょうは父親の命日で。
もう13年経った。

「もう」だか「まだ」だかよくわかんない、
遠いむかしのことのようでもあり、
つい昨日のことのようでもある感じで、
とりあえず、神妙に過ごしといた。

だからといって、
これを神妙なエントリーにしようなどと
ビタ一文おもってない。

むしろ、というか。
4年前、うっかりこんなこと書いちゃって
構成のへたっぴさゆえ、コメント欄が
「キクチのとうちゃん『きょう』死んだらしいぜ」
ってのにあふれた気恥ずかしさで、

もはやいいギャグとして処理されとる。
構成のへたっぴいな4年前のエントリー(↓) www.kikuchiroshi.com

と、そのてんまつを記した翌日のエントリー(↓) www.kikuchiroshi.com

そこで出てきた掛け軸は
いまもわが家の階段の踊り場に
おんなじようにあり。

プーさんのぬいぐるみが増えとるw

で、こっから。
オチもへったくれもないことほざく。

まず備忘を含めて、書いてあることについて。

おれはアートとかのたぐいの心得がないので
素のままじゃ、なに書いてあるか
まったく読めねえ。

訊いてもすぐ、忘れちゃう。

「阿耨多羅三藐三菩提の佛たち
 わが立つ杣に冥加あらせたまへ」
ってんだと。

「あのくたらさんみやくさんぼだいのほとけたち
 わがたつそまにみょうがあらせたまえ」
と読むらしい。

伝教大師の言葉。
原典は新古今和歌集だとか。

伝教大師ってのは最澄。
比叡山延暦寺を建てたときのもので、
直訳すっと「この地にご加護を」。

意気込み的には
「ここを必ずそういう地にしてやるぜ」
って覚悟が込められてるとか。

「一念、岩をも通す」的な。

あ、コレ。
いまテキトーに検索したのの抜粋なので
間違ってるかもしんない。

詳しく知りたければ検索すれば
いくらでもわかりるらしいっすよ。

この掛け軸をすげえざっくり
つごうよく解釈すっと。

父親が生前。
じぶんもそういうつおい想いで
仕事なり人生なりに取り組むんだ。

人知れず、そう決意したんだかで
それをこの軸に残した、とかいう。

。。。

「らしい」「そうな」「とかいう」
伝聞ばっかだな。

というのも。
ってのが、ここで書こうとおもってた
2つめのことで。

父が亡くなって数日。
まだ家に安置してあったころ。

親戚やら近所のひとやら
むかしの知り合いやらが来てくれて。
そのなかに、おれの幼なじみもいた。

小学校のころまではよく遊んでたんだが。
会うのは、当時で20年ぶりぐらいだったか。

というのは、
その後グレたとか、ではなく。
うちの隣が彼のおばあちゃん家で
週末ごとに遊びに来てたから。

中学にあがると、ほら、
部活や思春期がはじまって
週末ごとにおばあちゃん家なんか
行かなくなるじゃないすか。

とかどうでもいいな、この事情。

で、無数にある筆のなかから一本を取り上げ
彼が、おもむろに語り出す。
「おじさんはこの筆をいちばん大事にしてたから
ちゃんととっといたほうがいい」

幼いころから霊感がつおい
ってってたっけ、彼は。

ほほう、と。

うちの家族はみな、父の仕事には無関心で
そんなことはわかんないし。

なんつうか、あるじゃないすか。
家族が死んだ直後って、
わけのわからない浮き足立ちかたしてる
っていうか、

なんでも素直に聞き入れるっていうか
死を受け入れることを拒むわけじゃないけど
まだどこかで信じられなくて。

なんらか残り香があるならば、
それを真空パックして保存しときたい。
みたいな、心持ち。

なもんだから、
霊感がつおい彼の言葉は
ふだんはそういうの信じたくもないおれでも
なんだかすがりたくなっちゃうわけ、的な。

(彼が指したその筆は
ロンのモチ、大切にとっといてある)

おれ「じゃあさ、じゃあさ」

父の書斎に連れてゆき、
これまた無数にある作品から
父が遺した最高の作品はどれか
訊いてみる。

「そりゃ、これに決まってるよ」
「懸けた想いの量が段違いだもん」

箱に入って広げられてもない軸を
パッと選び、彼は言う。

「これ、ちゃんと箱から出して
家のいちばん目立つ場所に
飾っといたほうがいいよ」

なお、霊感のつおい彼も
そこに書かれていることはおろか
書道のことも、まったく知らない。

そもそもそういうのを信じてないので
彼の霊感とやらについては
いまだによくわかんないけど。

父とつなぐ細い蜘蛛の糸を信じてっていうか
そんなん感じで、わが家の階段の踊り場には
きょうも、その軸が飾ってある。
という事実は、少なくともたしかにある。

霊感って、すげえな(メダパニ)

命日ってこともあり。
(1日前じゃねーか! は措いて)
きょう仕事から帰ってきたあと、階段の下に立ち

数十分、ぼーっと掛け軸をながめ上げながら
とりとめもなく、いろいろ考えてた。

「当時まだおれ31だったのか。わけえな!」

病院で臨終後の処置?をひととおり終え
朝方、家族を乗せたクルマを運転しながら
「きょうからおれがキクチの主(あるじ)かあ
いやおうなく、そうなっちゃったかあ」

考えるともなく考えてた風景がキョライした。
自覚を持たなきゃな、おもった。
まだ夜が明けきってない、青梅街道。
(こうもん見えても、長男なんである)

ああ、父や31のおれは、
44になったおれがこんなんなんて
たぶんぜったい、想像してねえ。
合わせる顔がねえぇwww

とか、ね。

。。。

にしても、くだんの掛け軸。

「こっちはこっちでかならず岩を貫くから
神仏さん、そっちはそっちでご加護よろしく!
(超絶意訳)」

父の言葉選びのチョイス、なかなかだな。
ふふん、と、おもった。
おもいましたとさ。

そうだ。そんなん感じでいこう。おもった。
おもいましたとさ。

クソ長えぽえむ。