「飽き」とは何ぞやについて、2つのテーマを取り上げる。
あくまで、てめえのためのメモ。
1つめは「偽・飽き」。
フェイクとかイミテーションとかプラセボ的なやつ。
*
極端に言うと、「飽き」って言葉の置き換えで。
「飽き」というふうに他者に原因を据えることによって、てめえ自身のダメージを軽減しようとするやりくちなんすよね、という。
あ、一側面を切り取るとってことなんだけど。
*
たとえば、トラックとか周回コースでロング走をする文脈でよく「飽き」がもちいられるじゃないすか。
あれって別に飽きたわけじゃなくて。
「同じところを回る=単調」っていう設定?にして。
フィジカルやメンタルの「疲労」を、「単調=飽き」に転嫁するというか。
そういうメカニズムじゃん?
ん? メカニズム?
*
1kの周回を30k走しようとして。
10周(10k)ぐらいでしんどくなってきちゃったとする。
そのフィジカル的なしんどい感と、「あと20周あるのかよ」っていうメンタル的なうんざり感。
を、うまくひっからげてまとめると「飽きちゃった」になるっていうか、そういうこと。
そもそも、そんなに単調さが飽きやすいんなら、「走る」という両手と両足を交互に前に出し続ける単調極まりない動作の連続はどうなんの?
ってのはクソどうでもいいとしても。
*
なので、ほんとうは「飽き」たわけじゃないということは。
実は当の本人がいちばんよおくわかってたりして。ね。
(ロードを大回りの行って来い30kだったら)
(10kでちょっとしんどいとおもったとしても)
(飽きちゃったとはけして言わないじゃん? みたいな)
*
つまり、てめえが何らか「飽き」を感じる瞬間があったとしたならば。
それはほんとうに飽きなのかフェイク・換言なのかを、一度立ち止まって頭を冷やしてちゃんと分析? 考えてみる必要があるな、と。
おもったわけで。
っていう物言いだと。
「飽き」がスケープゴートってえの?
そういうネガティブな感じになっちゃいかねないんだが。
*
いっぽう。
そういうクッション? 逃げ道? がある/設けておけるってのは。
とてもとても重要なことで。
「もしコンプリートをできなかったとしても」
「『飽きた』ってことで丸く収めればいい」
というアプローチでもって、モチベーションやらおのれのプライドやら、メンタル的な平穏をキープでけるって面もあるから。
どんどん「飽き」ちゃおうぜ! おもうし。
よしんばパーフェクトにスケープゴートだとしても。
それきっかけでまた違うアプローチを探るとか、あきらめてまったく違うフィールドに乗り出してみるってことになれば。
それは新世界の扉を開けるチャンスになったともいえるわけで。
結果的に、飽きなかったからこそ固執しちゃってその場にとどまってるだけ的な事態は回避でけたのかもしれない。ともいえるわけで。
*
うーむなんか、雲をつかむような観念的な物言いになっちゃったが。
方法論? テクニック? としての「飽き」もあるのかな。
とおもったわけですわ。
その後どう解釈し、どうアクションするかはまたてめえ次第っていうか、なんつうか。
よしんば最低ラインとして、スケープゴートとしての「飽き」で収まってもそれはそれで本人がよけりゃいいんじゃね?(捨て台詞的な意味合いではなく)って意味で。
という、前フリエントリー。
ここまでエラッソーにとうとうと語ってきたのに、ま、前フリですと???