コスパ、タイパについてものすげえ肚に落ちた話。
*
コスパってのは費用対効果だっけ?
するとタイパってのは時間対効果かな?
いまどきの若者は何かをするとき。
コスパ、タイパのよさが行動基準の相当なウェートを占めてるらしいじゃん?
そりゃまあ、生産性生産性言われる時代で。
あ、そういう言い方をすると批判的にとられるかもしれんが。
できるだけ少ない労力でできるだけ多くの収穫をもくろむのは、基本的にとってもとっても重要なことだとはおもってて。
*
ついこないだ。
ムスメっこがおうちで学校のオンライン講義を視聴してて。
youtubeを1.2倍速だか1.5倍速だか2倍速で再生してて。
おっ、それは正しい使い方だなっておもった。
タイパとやらが跋扈してるきょうび。
講義なんて(物言い)、エッセンスをうまくすくい取れればいい性質のものだから。
まさに倍速するのに適ってる対象。
*
いっぽうで、実際のところ。
猫も杓子もタイパ言うのにはなんかしら「おやおや?」とはおもってて。
でいて、それはきわめて感覚的でロジックには乗せづらい、たとえば。
「間(ま)をしっかり感じたほうがいいこともある」
「かけた時間の分だけ知識が熟成されることもある」
「そんなに急いでどこへ行くのだ?」
みたいなことは、しょせん感情論?根性論? でしかない、もっと言うとザ・老害的なこととして処理されたらこっちが損?なので沈黙しておって。
ただ、そこはかとなく違和感を覚えてただけだった。
「そういうことじゃないんじゃないかなあ」と。
(↑ザ・感覚値!!! 昭和バンザイ!!)
*
で、きょうネットをたゆたってて。
こんな物言い(↓)を見つけてすげえ肚に落ちた。
(やっと、最初の本題に戻ってきおった。。。)
コピペするのもなんなので。
拙い記憶をもとに、てめえの言葉でほざいてみる。
(ので、正確性はアレだから上のリンク先を読んでくれい)
(まあ、もとが糸井重里が人から聞いた話なので、孫引きの孫引きなんだけどなっ)
*
ある学生が先生に質問する。
「何で勉強しなきゃいけないんですか?」
先生は黒板に長ほそい長方形を描く。
「これがトイレットペーパーだとする」
次に、長ほそい長方形の真ん中に小さな点を打つ。
「これが拭いたあとだとする」
「小さな点を処理するだけなら、トイレットペーパーは直径3センチもあればこと足りるはず」
「でも実際あたしたちぼくたちは、たった小さい点を処理するために長ほそいトイレットペーパーを用いるよね?」
「あまつさえ、三重四重にも折り重ねるよね?」
「きみたちは、こんなこと勉強しても役に立たないと言うケド」
「じゃあ、直径3センチのトイレットペーパーで拭くかといったら、ぜったい拭けないじゃん?」
「要するに、たったひとつの小さな点を拭くという行為の実体は切り取ったトイレットペーパーぜんぶにあるということ」
「それを小さな点だけを見てすべて知ったような気になっちゃいけませんよってことなんだぜ」
*
切り取ったトイレットペーパーの面積が、小さな点を理解するために必要な知識の広さであり。
染みて手を汚さないために重ねたトイレットペーパーの枚数が、小さな点を理解するために必要な知識の深さってことなのかな。
と、勝手に解釈した。
「解釈」ナドトえらそうにほざきつつ、ビタ一文大した蘊蓄もねえ、孫引きの孫引きを受け売ったまんまじゃねーか!
*
。。。
*
ウタゲをカマす、とする。
「飲ミュニケーション」が死語だ、コスパもタイパもわりいだ嗤われるサッコン。
たしかに、対効果という意味ではさほどよくないかもしんないが。
でもやっぱ、そのようなものがどうしても必要なきょくめんもあるはずで。
ちょっと、その必要性をあらためて考え直したい。
*
。。。って、強引にオチに入ろうとしてみたものの。
けっきょくおめえ「誰かといっしょにお酒飲みたい!」だけじゃね?
ピンポンピンポン、チンポーン!!
そんなんわけで。
直径3センチのトイレットペーパーについて、キクチと酒場で語り合いませんか?
よしんば上の行から直径だのうんぬんを磨いて磨いて削って、「酒場で」が残れば本望です。
ちなみにトイレットペーパーはダブル派!