大河ドラマについて。ドラマおじさん的な話。
今年の「光る君へ」はちょっとおもしろくなるような予感がして観ておる。
大河ドラマはここ数年、観始めるもののとちゅうでいたたまれなくなって脱落ということがつづいたので、こういうのはひさしぶりだ。
「麒麟が来る」以来?
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(「後編」だけど、これだけ数週間前に最初に書いたのね)
(いらねえ種明かしぇ。。。)
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まだ始まったばかりなので今後どうなるかはわからんが。
とりあえず、「主役の吉高由里子がぎっちょ」ってだけで勝手に思い入れちゃったりして。
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日本人のぎっちょの割合は1割前後らしい。
成人で11%という説もあれば、8〜15%という説もある。
(キクチが子どものころは、クラスにいて1人か2人で)
(当時だいたい1クラス40〜45人(2.5〜4.4%)だったので)
(実感としてちょっと乖離があるんだが)
ショージキ、マイノリティっちゃマイノリティだけど、言うほどマイノリティでもなくね? って感じw
ってのは措くとして。
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あ、今回の大河ドラマは舞台が平安時代だから。
吉高由里子演じる紫式部が文字を書くのに、ふつうに?筆を右手で持って書いてるってのが「ほんとうは吉高由里子ってぎっちょなんだけど特訓した」ってネットニュースでも出てて。
役者根性?とかすげーってなった話なんだけど。
(実際に書いた文字が劇中でそのまま出て、それがそこそこ整ってたってのもあって)
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これって、役者根性とかいう精神論じゃなく。
わりととんでもねえことなんっすよね。
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すげえはしょって言うと。
「ぎっちょのひとが右手を使う」って、ただ「手を入れ替えただけじゃん」では済まされないことで。
ちょっと大げさに盛ると、まったく別の競技といっていい。
相撲取りがマラソンを走るとか。
経理畑一筋のひとが重たい石を運んでピラミッドをつくるとか。
純日本男児・漢のなかの漢オブキクチが英国淑女を気取るとか、ぐらい。
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たとえば、右利きのひとが「これから1週間、改札で定期券を左手で通して(タッチして)みて」ってのをやってみたら、そんなカンタンなことなのにどれだけのストレス・違和感・やりづらさかはわかりるとおもう。
いや、別にエラソーに語るとか、キクチがぎっちょだから「この想いを思い知れー!」とかじゃなく。
実際、キクチもぎっちょではあるんだが、ぎっちょ具合にも濃淡があって。
○何が何でも左しか使えないひと(左利き)
○物事に応じて左と右を使い分けるひと(交差利き/クロスドミナンス)
○やろうとおもえば右も使えるひと(両利き)
って大雑把に分けられて。
キクチは2番目と3番目の間ぐらいで。
純粋なぎっちょ?ではないゆえ。
2番目でいうと、おんなじペンでも字を書くのは右、絵を描くのは左だったり。
3番目でいうと、ボウリングや野球のバッティングはどっちでもできる。のこぎりやナイフもか。
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いらねえじぶん語りをつらねると。
それでもぎっちょ発祥なので、はじめてやること、瞬発的なことはだいたい左だし。
「これは右で訓練したけどどうしても左じゃないとできない」ってこともある。
(昭和の子どもって、右に矯正させられたじゃん?)
(そういう意味では、字はもともと左だったけど右で書けるようになった)
箸やフォークスプーン、歯ブラシ、消しゴムは左でしか使えない。
自動改札や自販機のコインは左しか使ったことがないからわからない。
逆に、テニスやゴルフやギターは右しか使ったことがないから左でできない。
総じて、パワー系は右、テクニック系は左と大雑把にいえる。
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一時期、「歯みがきを右でやってみよう!」
ってムーブメントがキクチ内で起きたことがあるのね。
ふだん左だから、逆を使うことによって脳?神経?が活性化されんじゃねえかとかなんとか。
で、結果的にクソもどかしくてソッコー挫折した。
純粋な右利き(左利き)のひとに比べて、順応性?は上記したようにあるから、やりゃできんじゃんっておもってたし。
よしんば最初は違和感があったにしても、その違和感こそが脳?神経?を活性化してよりよくなるのだ!
ナドト、いきごんでたんだがムリ。
てめえのおもわくどおり動いてくれねえ不如意ストレス、ムダに時間ばっかかかるストレス、パねえ!
「ピンポイントでここは念入りに磨きたい!」って、小刻みに歯ブラシを動かしたいポイント、たった左と右が変わっただけでその小刻みのやり方ができねえのな! ゼロスタートなのな!
「は・み・が・き、じょうずかなあ」の3歳児とたぶんおんなじ経験とテクニックなんだろうな!
という。
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話がいろいろ蛇行しまくった風だが。
なので、話が一歩も進んでねえかもだが。
ぎっちょの吉高由里子が右手で筆を操っとる、あまつさえそれなりの美文字をしたためとるってのは、よけいおおってなる。
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身もフタもねえこと言うと。
要するに「慣れ」なんだよね、利き手以前に。
何らかのアクションがあって、それは生まれてこのかた何十年も「こういうふうにやるもの」みたいな回路がじぶんのなかにでき上がりきってるから。
それを逆の手でやろうってのは、大げさにいえば根底から覆されるみたいなもので。
ああ、言わんとしてることからどんどん遠ざかってる感。。。
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なので?
極私的な感想でしかないんだけど。
有名人で「このひと、実はぎっちょなんだぜ」ってわかると。
とたんによくわかんねえシンパシーを抱いちゃうし。
市井のひと(物言い?)でも。
「あ、ぎっちょなんすか!?」って。
心理的な距離感がぐぐっと縮まったような気に勝手になる。
ああ、それはたしかにそうなんだけど、やっぱここで言いたいことはそれじゃないぇ。。。