どうもきょうは間がよくないなあ、みたいな日ってあるじゃないすか。
間がよくない日って、間がよくないことがたてつづくもので。
逆にいえば、間のよくないことがひとつあったとしてもすぐ忘れちゃうけど、2回か3回連続するからこそ、そこで間のよくないことに気づくっていうかなんつうか。
リクツくせえな!!!
クソどうでもいいな!!!
ことほどさようにすげえ浅いことをほざく!!!
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土日のどっちもかどっちかはだいたい、チャリでokストアに買い出しに行くルーティンで。
大量のお酒を。
とちゅう、すげえ見通しのよい直線&交叉点があって。
キクチはチャリ、デフォルトでわりと一所懸命漕ぎたい派なので、そこはスピードにノるチャンス。
交叉点の信号も青だし。
したらば、交叉点のこっち側のコンビニの駐車場からちょうどクルマが出てきて、減速せざるをえない。
交叉点は見通しのよい直線の真ん中らへんにあるので、そこまでせっかくノってきたスピードがリセットになるんだが、まあいい。しようがない。よくあることだ。
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しばらく進むと住宅地にT字路があり、キクチはそこを右折する。
「世田谷のチベット」と言われてる公共交通網の乏しい地域で昼間でも人通りがそんなにないので。
T字路の角にあるミラーで誰もいないことを確認すると、なるべく減速せずペダルを漕いだまま角を曲がりたい。
チャリのことも力学のこともよくわかんないけど、カーブって遠心力がはたらくぶん加速してる感が味わえるじゃん?
したらばきょうは、進行方向(右折した先)からおばあちゃんがチャリでグラグラ来てるのが見えたので、1回止まってやり過ごした。スピードリセット。
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okストアに向かう最後の直線。
道交法的にはチャリは車道を走らなきゃなんないらしいが。
その先に交叉点があり、ふつうに片側一車線の狭い車道なのに右左折レーンをこしらえてあるので、チャリが車道に出る隙はなくって歩道を進まざるをえない。
その歩道も人通りがけして多くないとこではあるんだが。
きょうにかぎって、こっち側から進む歩行者と対向からくる歩行者&チャリのフルコース。
当然、スピードリセット。
(んで、そういうフルコースのときにかぎって)
(歩行者はよちよち歩きの子どもを携えたファミリーだったり)
(アノ、未来の乗り物?に乗ってる老人だったり)
(「おれっちは、おれさまちゃんのゆく道はぜってー、1ミリたりとも譲らねえもんね!」的なポリシーをお持ちのギャルorくそじじいだったりすんのって何でだろうね?)
ってぐあいに3回つづけば、さすがに「きょうは間がよくないなあ」って自覚する。
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んで、そういうときは。
きょうはそういう日だから、へんな事故に遭わないように気をつけようとおもって。
いつもよか若干、スピードを緩めたり、やさしい心を持とうと心がけるんだが。
きょうもちょっと慎重になっとこうと帰り道を帰ってて、ハタと気づいた。
世紀の大発見。
(浅えこと大満開す)
「間をよくなくした」のは、おれなんじゃねえか!! と。
グラグラきてるおばあちゃんとか、よちよち歩きの子どもとか未来の乗り物とかダンコ譲らねえマンを召喚したのは、めぐりめぐっておれ。
テリーマン風にいえば、ミーなわけで。
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またくだらねえコリクツをほざくと。
「責任の所在」ってあるじゃないすか。
あ、それだと重すぎるな。「せい」かな?
何かが起きた(やらかした)とき。
責任の所在がじぶんにあるのか他人にあるのかみたいなことになったとして。
実際、たいてい「じぶんだけのせい100」ってことは稀なんだけど。
それを外的要因にだけ求めすぎると、それがまたクセになるっつうか。
責任逃れマンみたいになるのもアレだし。
かといって、てめえで背負い込みすぎるのもけしてよくなかったりして。
拡大解釈しててめえ全否定につながったりもするし。
むつかしいところではある。
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すんげえ嫌いな「落としどころ」って言葉をつかうと。
その落としどころとしては、てめえの非があったぶぶんを率直に認めつつ、あくまでフォロー・客観的事実としてそこに至るまでに起きた諸々の事情はちゃんと周知しておく。
って感じになるとおもうんだが。
「間がよくない」に関しちゃ、やっぱおれ起因なんだよな。
と考えたほうが前向き感も納得感も出せる。ような気がする。
あくまでじぶんのなかで。
たぶん運的なことなんだろうけど、運であるからこそ、てめえ起因にしちゃったほうが次にいいことも自力で呼び込める?たぐり寄せられる?ような機運も醸成でけるし。
。。。
ナニこの、すぴりちゅあるぽえむ!