キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「期待したい」を誤解しておった

いままでずっと解釈違いしてたかもしんないっていうだけのハナシなんすけどね。

 

「期待したい」っていう、

知らん間につかわれ出したクソへんてこな言葉が苦手ぎみで。

 

なんつうか。

(前にどっかでほざいたような気がするが)

1)「期待」って私的なwantじゃないすか。

2)「したい」って私的なwantじゃないすか。

1+2)それを重ねる/連ねるとか、どんだけ欲望にまみれてんだよw

みたいなことで。

 

その鼻の穴ふくらませてる感というか、

独りよがりな「キマッタゼ」感というか、

演説の「○○しようじゃあーりませんかー!」感というか、

労組?政党?の、がんばろうがんばろうがんばろう感というか。

 

本人(ら)がドヤってればドヤってるほど

「お、おう。。。」ってなる。

 

共感性羞恥ってえの?

共感性羞恥心ってえの?

観察者羞恥ってえの?

(「見てるこっちが恥ずかしくなる」ってどれだっけ?)

 

 

まあ、順当に「期待しておる」でいいんじゃん?

 

よしんば上目線的なものを薄めたいんなら、

ちょっとシャレこいちゃってるケド。

「すぐ目の前には○○という未来が広がっているのだ」とか?

 

いやいやいやいや、シャレコロイド以前に長えしセンスなしの塊だな! キクチ!

 

 

で、上のツイートのなかにあるリンクをたどったらば。

婉曲的表現じゃねえのっていう説があった。

たしかにかに。

そっちのほうが、文脈的にしっくりくる。

 

「期待しておる」だと前に出すぎ感あるでしょ。

みたいなことなんだろう。

ナルホド。

 

 

むかーし、昭和天皇が園遊会かなんかで。

「○○を希望します」って言いまわしを

よく?必ず?つかってたじゃないすか。

 

たとえば美空ひばりを招いたとして。

二言三言かわして、希望しますで締める。

「これからも、あなたの歌でみなさんを楽しませることを希望します」的な。

 

思想的に偏りを見せてはいけない象徴天皇という役割。

とはいえ、最高権力者?であるから。

「楽しませてください」では圧になってなってしまう。

「楽しませてほしいなあ」でも、思想が混じってしまう。

主観が表に出すぎてしまう。

 

ってのの、いい緩衝材。

この文脈に沿うと、婉曲的表現。

ガキんちょ心に「うまく着地させるなあ」とおもったものだ。

(「手の振り方」と並ぶ、当時の小学生による昭和天皇モノマネネタ2巨頭)

 

みたいなこと?

 

 

話を戻すと。

「期待したい」が婉曲的表現というニュアンスを含んでるとして。

 

それってやっぱり、言っちゃえば責任回避ととることもでけて。

 

そんなんことまでする必要あんの?

だってそもそも、あなたの想いでしょ?

という違和感が拭い去れなかったりもする。

 

いや、ケースバイケースがあるのはわかりますよ。

「概して」という意味で。

とはいえっていう。

 

 

あ、ただそういう解釈もあるのねえ。

キクチ、誤解してたのかもねえ。

ってことを言いたいだけだったのに。

 

なにやら、ケチつけたくてしようがないマンみたくなっちゃってきておる。。。

ちがうちがう、そうじゃない。。。

 

ってんで、とつじょ内省をしてみますれば。

 

このクソ辺境っていうか、

このエントリーでも濫用してる

「○○みたいなこと」

「○○的な?」

だって、リッパに婉曲(言い切りじゃない)じゃねーか!

 

 

。。。

 

 

ところで、先生!

シャレコロイドってなーにー????