キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

社会の窓、その6(ほんとにラスト)

こんなんように、記憶ってごくあいまいで。

 

先週末、「ミステリと言う勿れ」っていう、犯罪モノ?探偵モノ?ドラマの特別編を観てたら。

 

事実と真実は違うって話をしてた。

(どっちがどっちかは忘れちゃったけど)

事実ってのはただ1つなのに対して。

真実ってのは人の数のぶんだけあると。

 

 

あ。コレ、いまさらまったく余談なんだけどな。

 

そのミステリと言う勿れの言いぶんを

つたない記憶をもとに掘り起こすと。

 

AさんとBさんがぶつかってBさんがケガをしたとする。

 

Bさんは「事件だ」と言う。

以前からAさんにいじめられてるという認識があるから、今回もわざとぶつかってきてケガをさせられたんだと。

 

かたや、Aさんは「事故だ」と言う。

ぶつかったのはたまたまだし、

そもそもBさんとは遊んでいるだけで、いじめている意識はないのだと。

 

(AさんもBさんも嘘をついていないという前提で)

 

いじめがあったかどうかは、判断のしようがない。

個々の主観によって、見方・解釈がぜんぜん異なるということが起きうる。

要するに、真実ってのは人の数のぶんだけある、と。

 

 

このシリーズの話に戻すと。

「キクチがむかし、その子にラブレターを出した」ということを。

キクチはまったく覚えてなくて、

その子は明確に覚えておる。

 

出したかどうか(事実)は藪の中である。

 

いや、キクチがかたくなに「出してねえし」って言い張りたいんではない。

たんじゅんに、まったく覚えてねえというだけだ。

 

(あまつさえ、へんに事実を突きつめようとして)

(万が一、カノジョが現物を保管してあって「ほらね!」なんてことになったら)

(二度と立ち直れないほどのダメージを受けることは間違いないから、おめおめそんなことはしない)

 

(っていうかそもそも)

(そんな「事実を突きつめる」的なシーンになることなんか)

(おそらく絶対にないんだろうだけど)

 

(そこまで想いを馳せちゃうあたり)

(もう、キクチが弱腰すぎてテンパりすぎててウケる)

 

 

あ、何を言いたいかというと。

記憶ってもんは、そんだけ曖昧なものだってこと。

 

じぶんの生い立ちすら、何が「事実」かわからないってこともけっこうあるということ。

 

実際、10年ぐらい前のブログを読み返すと。

すげえ楽しかった思い出なのに、おのれの現在の記憶とビミョーに食い違ってることや。

「そんなことあったっけ?」ってなることすら。

しばしば、少なからず(っつってもそんなに多いわけじゃないんだけど、少なくとも2~3回以上は)あり。

 

「キクチが桁外れにバカ/記憶力なしお」という可能性も拭い去れないが、措いて。

 

忘れたり、無意識にテキトーに補正されたり。

ってことはそんなんふうに「ふつうにあるもの」なんだなあって、あらためて実感した。

 

 

いまの自分を形づくっているのは、これまでの自分の経験や体験が基になってるのは間違いない。

そこからどう考えたかとか、何をしたかとか、今度はこうしようとか、次もこうすればなんとかなるんじゃねとか、要するにいまのてめえのすげえ拠りどころになってるわけで。

 

でいて、「実はそれが、ものすげえあやふやで不確かなものでしたー!」ってなったら、どうすればいいのだろう?

 

 

今回のラブレターの件も。

途中から「言われてみればそうかも」ってなったんだけど。

 

ほんとうに記憶の断片を思い起こせたのか、脳内で嘘記憶を生成してそうおもったのかの境いめがわからんくなっとる!

 

事実も真実も、不確か!

いや、否定したいとかじゃけしてないし。

きょう、こうして「マジ恥ずいなてへへ」って、その子との間でネタ的に、青春の思い出として昇華できたんなら、むしろチョーオイシいし。

 

なんなら。

これはけしてエロ目線ではなく。

その子とこれからも、いろんなことをぶつけ合ったりしていけるんだろうなっておもった。

オトモダチデキマシタ感、ある。

ごく独りよがりで言わせてもらうならば。

 

っていうかもはや、超絶クソブサクソほどモテないキクチに怖いものは何もねえ。

 

「おれむかし、この子にラブレター出し(てものの見事に撃沈し)たんっすよw」

って、胸を張って堂々と言えるw

 

 

。。。

 

 

あ、これって結局「そういうことあるよね」ってあるある的に言いたかっただけ。

 

 

ひとつ、ものすごくうれしかったのは。

このことを、その子は大切な思い出として覚えててくれてたということで。

 

(いや、このパーフェクトなフォロー感というか)

(こんなことを言うと語弊があるかもだけど)

(数日前、「これブログネタにしていい?」って聞いて)

(許可をもらった数日後に)

(「このシリーズのブログ見てる」ってDMが来たからよけい)

(完全に私信じみてキモいんだけど)

 

(カノジョは、これは小学校のときもそうだったんだが)

(気ばたらきが過ぎるぐらいのひとで)

(ぶっちゃけ、このウタゲのときも)

(「ああ、これは本意かどうかはともかく、すげえ気をつかわせてんなあ」)

(って感じるシーンがちょくちょくあって)

(たとえば、何らかこっちがサジェスチョンしたとき)

(「それはいくら何でもちょっとオーバーリアクションすぎね?」ってことが何回かあって)

 

(キクチは、ある種の息苦しさすら感じておった)

 

(↑言っちゃった。すまん許してくれい!)

(おれは、いま、てめえだけが一方的にほざける場でカノジョをdisるという、すげえ卑怯なことをしてんのかもしれない)

 

(いやいやいやいや。そういうんじゃなくって)

 

ってえと、きれいごとっぽすぎるかな?

↑これはカッコ前の「大切な思い出として覚えててくれた」を受けたやつな。

 

 

その、キクチがラブレターを出した(らしい)時期。

カノジョは全方位的にかなり思い悩んでたらしくって。

 

クソラブレターが、カノジョなりには前を向く力(のなかのものすげえささいなひとつ)にはなった。

ということを伝えてくだすって。

 

それは「事実」だって思い込むことにした。

 

「うげえ、キモキクチがラブレターをよこしてきやがった」

という太古の昔のとんでもない不幸を措きさえすれば。

総結果的に、結論的に、いまみんなハッピーに帰結しとるんじゃないか、と。

 

独りよがりぇ?

 

 

あとは、アレだな。

コロナ前からひつこくほざきつづけてる、

「ダンナさんと3人で飲み明かそうぜ!」

を、どうしても実現したい!

 

たぶん、すっげえ盛り上がれるとおもう。

あわよくば40代のうちに。