こんなキクチにだっていちおう、負けず嫌いな側面もある。
記憶のかぎり、子どものころはたぶんもっとずっとそれが前面に出てて。
がんばる原動力のほとんど全部が「クラスで一番になって目立ちたい」とか「誰それには絶対勝ちたい」と、要するに負けず嫌い発祥だった。
なので負けず嫌いってのは、そういうもんだとおもってた。
「ほめられたりかまわれたりするのがすげえすき!」も、負けず嫌いに拍車をかけた。
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あ、きょうはムスメっこの話なんすけどね。
結論というかオチから言うとさっき、ムスメっこの進路が決まったわけですが。
ぱんぱかぱーん!
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ムスメっこも、キクチの子らしく?
乳幼児のころから強烈な負けず嫌いである。
たとえば保育園のころ(↓)。
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ただ、小学校の低学年くらいだっただろうか。
世紀の大発見をしてしまう。
おなじ負けず嫌いなんだけどベクトルは真逆で。
キクチは対象が他者。
ムスメっこは対象がじぶん。
ってことが、超絶衝撃的だった。
「他人に勝つ(負けない)」ことが負けず嫌いの根本にはない。
という人にも価値観にも初めて出合ったので、驚天動地したわけ。
ムスメっこおめえ、ほんとうにキクチの子なのか?
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。。。あ、上のリンクを貼ろうと過去エントリーをまさぐってたら。
きょう書こうとおもってたことと酷似してるのを見つけた。
循環型ブログ? サーキュラーなんたら? てえの?
恥ずい(↓)。
でも、つづける。
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ムスメっこのそういう「対自的負けず嫌い」は、成長とともにさらに顕著になってきた。
端的にいうと、他人や物事を見る目も序列や比較に拠らない。
たとえば。
「○○ちゃんってチョー頭いいんだわ」みたいなことを言うとして。
○○ちゃんは学年3位だったりする。
(でいて、ムスメっこは学年1位だったりする。。。)
あるいは。
「△△ちゃんは、マジガチ速えわ!」みたいなことを言うとして。
△△ちゃんはマラソン大会で5位だったりする。
(でいて、ムスメっこは1位だったりする。。。)
として。
最初は「いやいやいや、あなた1位じゃん!」
って薄目で遠くをながめるみたいな見方をしてた。
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キクチみたいな「対他型負けず嫌い」は、
よしんばそういうことをほざいたらば。
裏側に。
「でも、1位のおれのがもっとすげえっしょ! そこをほめてほめて!」が隠しきれない的な、身もフタもないやな感じが醸し出されるんだろうが。
ムスメっこにはいっさいそれがないわけ。
(上記たとえが「ムスメっこが1位にもかかわらず」的なのを出したのは、ちょっと失敗っていうかウソくせかったかな?)
(誰かを対象に「かわいい!」とか「とにかくいい子!」とか「チョーモテる!」みたいなことを言うときもおんなじ)
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つまり、ムスメっこが言う「チョー頭いい」「マジガチ脚速え」ってのは。
周りとかじぶんとの比較じゃなく、たんじゅんに純粋にそうおもって称えてるとか。
あるいは、そのおともだちのがんばりに対するリスペクトとして、たんじゅんに純粋にそうおもったからとか。
ソコ発祥なのね。
ってのが端々から感じられるわけで。
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あああ。
これはけしてムスメっこっていう、キクチの子であることのひいきの引き倒しをおめおめさらしたいんではなく。
「そういう価値観があるんすね!」っていうおのれが受けた衝撃がそんだけ衝撃的だったってことを言いたかっただけ。日本語ぇ。。。