キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

時薬(ときぐすり)

表題みたいな、イカした日本語の繊細すぎる繊細さが大すきなわけですが。

(あ、だからといって小難しいことを言う勢いだが、そうではない)

 

そもそもですね。

これは、オフライン日記にメモっといた、

要するに、想いとしてヒトサマにさらすようなことじゃないことなんだけど。

 

ちょっと、いまの朝ドラ「らんまん」について

語りたいことが出てきて、ですね。

 

その前段というか、世界観というか。

として、「時薬(ときぐすり)」という日本語への独断と偏見を語りたくなっちった。

ござる。

 

というわけでして。

 

 

時薬ってのは。

時間の経過でしか解決?処理?できない事柄もあるじゃん?

 

っていう意味合いで。

(たぶん)(足りない脳みそと浅い見識による解釈)

 

この言葉が出てきた「らんまん」のシーンを補足しとくと。。。

 

 

主人公・万太郎の長女、園子ちゃんが2歳で急逝しちまった。

両親は当然、大大大ショックなわけで。

 

万太郎の奥さん・寿恵子なんか。

第2子を身籠ってるにもかかわらず、食事を摂る気力すらない。

 

万太郎はいま、東京の下町の長屋に住んでるんだが。

炊事場も洗濯場も(トイレも?)共同、みたいな

きっと、壁なんかもすっげえ薄い、

プライバシーのかけらもねえような貧乏長屋に住んでるんだが。

 

コトがコトだけに。

万太郎とすえちゃんにかける言葉が見つからず。

 

ムリに明るくふるまってみたり。

でいて、いい意味でムダに深入りしないよう気を使って(使われて?)接してる。

 

 

ある日。

共同スペースで寿恵子がぼーっとしてると。

長屋の住人のひとり、倉木が声をかける。

 

「いろいろつれえかもだが、時薬ってもんがあるから」

(以上、すべてキクチの記憶による説明だから)

(拙かったり、足りなかったりすることはあるだろうにせよ)

 

 

この、やわらかい声かけってすげくね?

この、言語化能力ってすげくね?

 

長屋の住人が、すえちゃんにかける言葉がないってのは。

「中途半端にへんなことを言って逆効果になる」恐れよか。

「いまはしずかーに見守ってようぜ」っていうやさしさで。

 

その、ある種の時間稼ぎ?を言語化すると。

「時薬」に集約されるわけですわ。

 

それをズバーンってすえちゃんに言う、倉木の絶妙な叱咤激励とか、やさしさとか。

あるいは、もとのすえちゃんが帰ってくるのをおれはいつまでも待ってまっせっていう決意表明、とか。

 

 

まあ、何を言いたいかというと。

「時薬」っていう言葉のセンスが、はてしなくイカすっておもったおもいましたとさってだけの話なんすけどね。

 

ただの日本語フェチのフェティシズムにゲットオンしたってだけの話だけなんすけどね。

 

 

「時薬」がすごいのは。

喜怒哀楽すべてにタッチしてるということだとおもう。

 

上記みたいな「哀」を薄める?解釈する?効果がありながら。

 

おんなじように、「怒」も。

たとえば、瞬間湯沸かし的に「!!!」ってなったことも。

一晩ちょっと寝かすと、感情面だけでなく、論理的に整理できたりするってこと、ままあるし。

 

いっぽう。

「喜」も「楽」も、リアルタイムの場の勢いを

時薬をカマすことによって、より喜びや楽しさを増幅させたり。

あるいは、深みを与えたり。

 

いや、そこはキクチ、調子に乗りすぎた!

 

とか、客観的な解釈を加えさせたりする効果もある。

 

 

話が一歩もビタ一文進んでねえケド。

そういう、時を経るからこその熟成(時薬)ってすげえとおもうし。

それを「時薬」の5文字で言い表すその感じってすげえとおもうんですわ。

 

。。。感想が安い!

ケド、こりゃはてしなく萌える案件だわ!

 

 

。。。

 

 

さてと。

オチをどうしていいかわかんなくなっちったが。

これはオチになるのか、はなはだ疑問だが。

「時薬」ってのは要するに、「バカだからこそ」の効用ともいえるわけで。

 

人の記憶って、いい塩梅にいい加減なわけじゃないすか。

 

ほとんどの人は適度にバカだから。

あまりにつらい記憶は抹消できたり、薄れさせたりすることができる。

てめえに都合のよい記憶に、無意識的に書き換えることもでける。

 

それもこれも時薬。

 

 

一部には異常な天才(異常な記憶力)のもちぬしってのもいるらしくって。

 

彼らは、「百科事典の内容を瞬時にインプットできて。なおかつそれを整理して、いつでも取り出せます!」っていう何ともうらやましい機能を持ってる反面。

 

すべての出来事を生々しく記憶しつづけてるからこそ。

凡人だったら、テキトーに忘却して次に進めるようなつらい記憶もくっきりはっきり覚えてて。

 

そのはざまで、発狂しちゃってどうしようもなくなるみたいなこともあるらしい。

 

たとえば、49歳の人間がいるとして。

中2(14歳)のときにチャンネーにフラれたときの思春期なりの大ショックな記憶を。

彼らはまったく薄められないわけね。

 

それって、つらすぎじゃね?

 

凡人が49歳のあるとき、街角でふと昔を思い出して一瞬、胸がぎゅっとなるような瞬間を。

異常な天才は、当時とおんなじ感じで真空パックしたままずっとぎゅっとしつづけてるわけで。

 

そりゃ、生きてくにはハードモードすぎるだろうし。

実際、発狂しちゃうこともあるらしいし。

 

 

は、例として極端すぎるかもだが。

総トータル的な「ちょうどいい」って、いったい何なんだろう?

 

とりあえず。

「アルコホールを摂取しすぎて必要な記憶もしばしばなくなる」

は、「時薬」とは文脈がまったく違うんであろうな。

 

どさくさにまぎれて、

いっちさんとお酒飲みてえな。