CM見てたら4、5年前のことがキョライしたので書いとく。
ナンダソレ?っていうか。
そんなことあるのね、って話。
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ムスメっこが小学生のとき。
お世話になってた学童のすぐ隣にキリスト教の教会があって。
その教会を間借りして公文の教室をやってて。
4年生の終わり頃から、ムスメっこは公文に通うようになった。
ムスメっこは、親がアレなので限度の4年生まで学童にいさせてもらってて。
あまつさえ、毎日預けられる極限の時間まで預かってもらって。
それでもムリっぽいとファミサポの方に預かっていただいたりしてて。
まあ、それは措いといたとしても。
中3になって受験を視野に入れて本格的に塾に行くようになっても。
公文には通いつづけておった。
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それは何でかっていうと。
公文で英語をやってたから学校の英語の成績もそこそこだった効果を本人が実感してたのと。
英検もガンガン受けさしてくれて。
高校入試のとき、英検をもってたおかげで推薦で加点要素になって受かったし。
予算の都合上、塾では数学と理科だけ教わってて。
あと社会がやべえってんで、もう1ケ違う塾では社会だけ教わって。
(国語はクソ父親オブが教えてたっけな)
(夏の終わり頃から毎週土曜に都立の自校作の過去問やったりとか、クソナツいな)
って体制だった。
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んで、進学先の高校が決まって。
公文は中学までってことにしようってなって。
最後の日、挨拶に行って帰ってきたにょうぼうが言う。
「ダンナ、聞いてよ!!!!」
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教会に、長い間たいへんお世話になりましたって挨拶に行ったら。
「実は。。。」にょうぼうに、公文の先生が言う。
「この1年間、お月謝いただいてないんですよ」
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ってのはどうやら、こういうことらしい。
中3になるとき、受験対策の塾にも行きはじめるし。
じゃあ公文はどうするって話になって。
(いまっていうか当時思い返せば)もろもろ含め、公文の先生にも相談した。
で、上記したとおり。
ムスメっこは公文の英語がとても気に入ってたし成果も出てたので、通いつづけることにしたわけだが。
公文の先生のなかでは、(勝手に)ムスメっこはやめたってことにして。
でも公文の先生的に、ムスメっこはいい子だし頑張り屋さんだし、相性的にも気に入ってくだすったらしく。
何より、ムスメっこが通いつづけてくれてくれることがうれしかったから。
月謝はいただかずにしておこうってことにしたんです、と。
そんなの、アリ???
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にょうぼうは、精一杯言葉を選ぶと。
ほぼ全方位的に大らかなひとなので。
(たとえば、クソダンナオブがどう酩酊して河川敷で寝てようが怒らないし)
(あ、それは大らかじゃなくてただの無関心臭ぇ。。。)
通帳をいちいち確認してなくって。
1年ぶりに? ムスメっこの教育口座を確認してみたらば。
たしかに、4月から公文の引き落としがなかったと。
それはそれで、どうなんだろうな!
まあ、クソ父親オブもちゃんと把握しとけよって話なんだけどな!
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何を言いたいかというと、というか。
何を言おうとしてたのかわからなくなっちった。
ムスメっこがそんだけ公文の先生に愛情を注がれてたっていう、親としては金銭うんぬん別にしてうれしい気持ちが一番先にありながらも。
当然、もうしわけない気持ちもあるし。
(その状態でお世話になってたことも、それを知らなかったことも)
生活の糧にしてるプロに対して、それでいいのかって気持ちもあるし。。。
ね、何を言いたいのか、よくわからないでしょ。
いまだに、よくわからない。
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いや、先生にはけして否定的な、批判的な気持ちはない。
全面的にありがたい、感謝の気持ちしかない。
生意気なこと言うと、「ななちゃんのいい子っぷりと頑張り度が生んだ所業」ともいえる。
でも、このことはいまだにじぶんのなかでどう解釈?処理?していいのかわからない。
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じぶんのなかで救いなのは。
ムスメっこは大学生になった今も。
小さいころにお世話になったひととのつながりをつなげつづけてるってことだ。
中学までのおともだちはロンのモチとしても。
学校や塾の先生、学童、ファミサポさん。
おともだちの親御さんとも、いい関係をつづけてる。
折り目には、挨拶なり報告を欠かしていない。
人見知りで、人間関係希薄なクソ父親オブとは対極にいる。
エライ!
ただ、ここ何年か、言う。
「保育園も学童も、知ってる人がみんないなくなっちゃった。。。」
ん? 話がブレた?
いつかまた、そのうち。