きょうはつくばマラソンのエントリーがあるってんで、きのう一歩踏み出してみた。
「ななちゃんも走らない?」
大学生になったことだし、いきなりフルとは言わないけど、とりあえずにょうぼうとおんなじ10kでどうよと。
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ムスメっこは走ることは苦手でも嫌いでもなかったし。
高校の、部活をやってたころまでは自主的によく走ってた。
高2のはじめごろ、やや極端なダイエットをしてたときもよく走ってた。
「どんくらい走ったの?」訊くと。
「きょうは9kでやめといた」ナドト。
父親より全然走ってんじゃねーか!
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しかしして、こちとらのサジェスチョンに
何ならカブせるぐらいの即答で「いや、いい」。。。
ちょっと食い下がろうとおもって。
「素地があるから、ちょっと練習すればラクショーで完走でけるよ」
「練習すれば、目方も落ちるよ」
言ってみたものの、「いや、いい」と。。。
完走でけるでけないとか、減量でけるとかは
(説得しようとしてるベクトルの)本質が違う、と。
よくわかんねえケドよおくわかった。
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これってたぶん。
「肉はもういい」っつってんのに。
「じゃあ、魚は? 野菜は? スイーツは?」って何かを食べさせようとするようなもんだ。
「お腹いっぱい」とか「飲みものがほしい」のかもしれない。
的な。
(これぞ、ザ・「本質わかってねえ」からこそのぼんやりした喩え臭しかしねえぇ。。。)
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あるいは、こういうときの「本質」って。
絶対的な拒絶表明ととることもでけて。
「今はもう、何を言っても通用しませんぜ」ってことなのかもしれないケド。
たとえばさあ。
あくまでたとえば。
クソ父親オブは、いつかムスメっことフルマラソンを完走トゥギャザーする日を夢見てるとして。
そのうちいつか的に、今回はアレだけど次回に望みをつなげる的な方向に持っていこうとするならば、どうすりゃいいんだろうな?
無理強いすんじゃなく。
そっち方向にそれとなく導くっていうか。
そそのかすっていうか。
。。。
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ちょっと話は戻るけど。
じゃあ、魅力とか楽しさをわかってもらえるようにどうしたらいいんだろうっても。
きょうのこの感じだと。
そうやってこっちがしようとすればするほど、絶対に裏目にしか出ないじゃん?
だから、前進はしないがとりあえず後退だけは回避する「それ以上は何も言わない」以上の策ってあるんすかね?
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まあいいや。
こういうのって、「突然ひらめく」みたいな側面もあるから。
社会に出たときとか、30歳になったからとか
何らかのタイミングでいきなり「マラソンでも走ってみっか」ってベクトルができる。
ってことも往々にしてあって。(あるじゃん?)。
静かにそのXデーを待つってのもいいんだが。
そのXデーが来たとき、まだクソ父親オブの足腰が立ってるのかどうかが、最大の不安要素でもある。
ムスメっこよ、急げ!
10代の頃はじぶんには無限に時間があると思うものだけど。
いや、実際そうなんだけど。
無限といえるほど残された時間があるからこそ。
「これはきっとムダでしかないんだろうなあ」って最初からわかってる物事にもちゅうちょなく臨んだりできるっていうメリットは確かにあるんだけど。
そうこうしてるうちに「うへっ、来年50かよ!」
的な光陰矢にも、簡単にあっという間になれるんだからな!
時間って誰にも等しく与えられるみたいなこと言われてっけど、実はものすっげー厳しく、不平等に与えられてるもんだからな!
。。。
もうじぶんでも何を言ってるんだかよくわかりません!
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そんなこんなで、つくばマラソンにエントリーした。
今月は25日現在、走行距離ゼロで。
ジョギングしようって気持ちになるまでの精神的余裕はとてもとても持てない状態が、たぶんあと1ヶ月ぐらいは続く予定なんだが。
とりあえず、コウして何らかアガる要素ができたってのは「本質的に」うれしいことで。
こういう、上達や進歩や前進を期さない趣味? が持てるって実はとてもぜいたくでとうとい。
つくづくおもう。
おもいましたとさっ。