『ミステリと言う勿れ』というドラマで。
主人公の男の子がこんなことを言っていた。
(例によって、記憶ベースゆえ)
(セリフは逐一正確ではない)
(だいたいこういうエッセンス、という)
「大変な病に直面することを何で『闘病』って言うんでしょう?」
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「有名人の訃報とかでよく」
「『闘病の末』とか」
「『病に勝てず』って言われるじゃないですか」
「でもそのひとは『闘いに負けた(勝てなかった)』んでしょうか?」
「そもそも『闘って』いたのは」
「医学なはずで」
「『負けた』とするならば、それは医学が負けた」
「というのが正確なんじゃないでしょうか?」
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そういう病を得たとき、本人の気力がモノを言うという側面も相当デカイ。
というのも確かだが、話がややこしくなるから措いて。
この主人公の言は全部とは言わないまでもある面、正論であるようにおもう。
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。。。
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16年前のきょう、2006年3月27日。
キクチの父親が亡くなった。
(ということはきょうは17回忌だが)
(コロナなので法事はよしといた)
(各々がありし日の父をちゃんと思い出すことこそ、ほんとうの供養)
(という思想)
(いらねえ情報)
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その1年前、2005年の春にがんが見つかったので。
発見が遅かったのか進行が早かったのかはわからないけど、ずいぶんせっかちじゃねーかとはおもった。
反面、父が無理してたのか、これもわからないけど。
まったく動けなくなったのはけっきょくラスト3週間ぐらいで。
それまでもキツそうながらも仕事をしてたので。
まあほぼ、「現役のまま逝った」と言っていいだろうし。
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実際、人が死ぬとあるじゃないすか。
役所に死亡届を出す前に銀行口座を解約しないとなぜか口座が凍結されちゃうというワケワカメな謎ルール。
でも、亡くなった時点でまだ振り込まれてないギャランティがあるってんで。
クライアント?に事情を説明して。
振込先を母の口座に変えてもらったりして。
「そんくらい、現役のまま逝った」みたいなことを言いたかったわけだが。
翌月だか翌々月だかに最後のギャランティが振り込まれたときこそ。
実際に亡くなったときよかなまじっか「ああ、父ちゃん、ガチで終わっちまったんだー」って実感しましたとさ。
ってこともあった。
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そんな些末な思い出話はどうでもいいとして。
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父親が亡くなった直後。
人並みに悲しかったりさびしかったりしつつ。
ごくナチュラルにこんなことがキョライした。
まだご臨終ですって訊いて母親が病院に到着する前だったかな?
家に連れて帰るまでにもろもろの処置?をするってんで待ってる間だったかな?
まあ、そんなことはクソどうっでもいいな。
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「がん細胞って、人体に寄生してこそ生きてられる」
「ってことは、父の肉体が滅びたってことは」
「父の肉体に巣食ってたクソがん細胞のヤローだって滅びたわけだよね?」
「がん細胞、ザマミロコノヤロ! おめえら全滅だわ!」
「父ちゃん、闘いに勝ったな!」