キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

知り合いの知り合い(赤の他人)を誇りにおもうみたいなやつ(つづき〆)

10年かそれ以内に前だったか。

伯母(父の姉)の葬式でいとこに会った。

 

そのいとこが言う。

「孫が水泳がんばってて、ね」

 

 

「いとこ」といえど、父の1コ下。

父は長姉とは21歳ちがって。

「父のお産のときにその伯母が嫁ぎ先から手伝いにきた」ほどで。

キクチのいとこってより、キクチ父の幼なじみ。

 

っていう家庭環境があるから。

物理的にはじゅうじゅうわかってるけど。

当時30代後半だか40になるかならないかの身にとって。

「いとこの孫ってなんだぜ?」

って、自然になる。

 

 

「このままがんばればオリンピックに出れるかもしれないってんで、有名なコーチにも教えてもらってるらしい」

いとこが自慢げに話す。

 

こちとら、ただただ「おお、すげえ!」と。

 

ごくふつうの平民なショミンだから、そういう雲上?殿上人?の世界ってピンと来ないじゃん?

 

 

母がその孫のなまえを聞いた。んだが。

母のメモリー機能がすげえ貧弱なうえに。

「父の姉」だからキクチじゃないうえに、その孫ってのは「いとこの娘の子」なのでキクチであろうはずはない。

 

 

っていう、ものすっごい薄いつながりで。

苗字すらわからないのに。

 

年齢と「おなまえ(苗字ではない)がちょっとオシャンティ」と「有名なコーチに教えてもらってる」っていうヒントをもとに。

あ、おまけに、いとこの家からわりかし近くに住んでるってヒントをもとに。

 

ネットで調べたら、わりとすぐにわかって。

それがこの一連の話の「その3」なわけで。

 

 

キクチはそれ以来、ネットで「いとこの孫」の活躍を見だした。

キクチが見だしたのは、彼女が高校時代からだったか。

 

水泳の記録的なすごさは、いまいちよくわかんないんだが。

都大会で優勝したんだか上位に入り。

インターハイでも上位に入ってた。

ジュニアオリンピックでも上位に入ってた。

 

大学に進み。

上級生になってから頭角を現し。

全日本インカレで表彰台に上がり。

日本選手権でも決勝に残るほどだった。

 

大学4年時には主将をつとめ、技術的にも精神的にもチームをぐいぐい統率してる。

ということは、大学の水泳部がひんぱんに更新してたブログからうかがいしることがでけた。

 

 

ただ、もうそこらへんのレベルのことはよくわかんないが。

彼女は大学卒業とともに競技は引退したらしい。

破れない壁、みたいなものがあったんであろう。

 

 

かたや。

彼女が大学に入ったころから。

同学年でめきめき、頭角を現してきた子がいた。

 

最初は「いとこの孫のライバルめ」って感じでみてたのに。

(さっき確認したらインターハイでは勝ってんのね)

ちょっとそこから、埋められない差をつけられはじめた。

 

「一流と超一流の差ってこういうことなのか」

おもわざるをえない感じだった。

いとこの孫が競技を引退してからは、

その超一流のライバルを「知り合いの知り合い(=他人)」って親近感で、とりわけ思い入れをもって、応援するようになった。

 

「いとこの孫と同い年の、圧倒的につおいにっくきライバル」は

「見も知らねえのに超絶誇りにおもえる応援すべき対象」になった。

 

 

いまさら、文脈からわかりきってるかもだが、

いとこの孫が取り組んでたのは個人メドレーで。

彼女の元?ライバルは大橋悠依。

 

 

そんなんわけで。

池田高校の中継に首ったけになってるとき。

NGさんのツイートで大橋悠依が金メダル獲ったって知って。

 「おめえキクチ、何やってんだよ!」

っておもった。

 

知り合いの知り合い(赤の他人)として、浅くうっすく思い入れてんなら。

ちゃんと責任もって?、浅くうっすく遠くから眺めつづけろよ、と。

さぼってんじゃねーよ!と。

 

いっぽうで「そのとき池田高校をちゃんと応援してたじぶん」という誇りはあるが、話がこんがらがりすぎるので措きまする。

 

 

拡大解釈すっと。

ぼくたちあたしたちが五輪で日本の選手あるいはチームを無条件で応援しちゃうのって、そういう赤の他人に対する誇りみたいなものと、ワケワカメに湧き出てくる自分事感がなせるわざで。

オリンピックのそういうとこって、いいとこだなっておもう。

 

(高校野球で出身県の代表校を応援しちゃうのもおんなじだよな)

(ってまた、話がややこしくなるので措きまする)

 

 

。。。

 

 

1ヶ月ぐらい前だったかな。

「ヒロユキさんが亡くなっていた」と聞いた。

彼女のおじいちゃん、キクチのいとこ。

 

こんなコロナなご時世だから、

病んでたことも知らせられず、

葬儀も内々で済ませましたってことらしい。

 

北千住の無骨な職人。

 

 

15年前、父がいなくなったとき。

 

親戚が多すぎてカオスなので

手練れのヒロユキさんにすがったら、

「え、ミキオが!?」ってんで

1時間ぐらいでクルマですっとんできて。

 

裏側でめんどくさいことをぜんぶ仕切って

「やだろうけどあいつに親族代表挨拶やらせりゃぜんぶ収まる」

とか言ってくれて。

 

葬儀一連が終わったらすぐ。

「これからがんばってください」

とだけ言って、去ってった。

 

去り際にいつものように10ケぐらい下の母に

「叔母さん、またな」とかほざきながら。

 

 

はてさて、このエントリーでキクチは。

大橋悠依の話をしたかったんだろうか?

いとこの孫の話をしたかったんだろうか?

 

ヒロユキさんに感謝したかったんだろうか?