キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

12月23日

12月23日は父親の誕生日で、生きてれば79歳。

「人々に忘れ去られたときがその人の本当の死」みたいなことを誰が言ったんだか知らないケド聞いたことがあるが、そういう意味では父ちゃん、セーフ。

 

79歳っちゃ傘寿(80歳)には1ケ足りないし、去年まで12月23日は天皇誕生日だったけど前天皇が譲位?しちゃったからふつうの平日になっちゃったし、亡くなったのが64歳だから15年経ったって、15って一見きりがよさげだけど、そっちの業界では13とか17のほうがきりがよさげなのであんまきりがよくないしってんで、ぜんぶ中途半端だが。

 

思い出した(忘れ去ってない)って意味では父ちゃんセーフで、よしとする(イミフ)。

 

 

父ミキオはお顔がちょっと遠藤周作に似ていた。

 

キクチは幼少のみぎり、親戚で集まるつど伯父伯母に「ホント、ミキちゃんにクリソツだねえ」なんて言われつづけてて。

あるとき、父が小学生のころの写真を見たら、写真じたいの白黒さとか古めかしさを除けば、本人でも見分けがつかないくらいクリソツでガチでビビったことがある。

 

 

なのでキクチは将来、てっきり遠藤周作フェイスになるもんだとおもってたんだが。

46歳のときのミキオと46歳のヒロシはもはや似ても似つかないのって、なんか不思議だ。

なんだかよくわからないけど、(砂山から1粒の砂を除いても砂山で、2粒除いても砂山で・・・ってくり返してくと、どこまでが砂山なんだぜっていう)砂山理論っぽいっていうか、石の上にも三年っていうか雨だれ石を穿つっていうか。たぶん少年末期のどこかの時点で生じた目に見えない程度の差異がじわじわ作用して別人フェイスになったんだろう。

 

言ってることがあまりにもイミフすぎて、「遠藤周作フェイスの息子がキクチヒロシとか、どんなギャグだよ」っていう周到に用意してたオチを活用するシーンがまったくなくなっちゃったじゃないか!

 

そんなん、どうでもいいわ!

ぽえむ!