キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「将来」と「未来」

「将来」と「未来」が混在してる文章を読んでて。

どうやらそれは意識して使い分けてるんではなく。

ただ表記が揺れてるだけだったんだが。

「じゃあ、どう意味が違うの?」

 

ということをまとめた。

ただの、てめえに対する備忘録である。

 

以下、キクチの個人メモの範ちゅうを超えるものではないので、たぶんに解釈の違いがありうりだし、そもそも諸説あるかもしれない。

 

 

将来は、主観的で時間的には比較的近め。

未来は、客観的で時間的には比較的遠め。

 

という違いなんだという。

 

「ぼくは大きくなったらお医者さんになりたいです」は、主観的で時間的にはわりと近めなので「将来の夢・希望」であって、「未来の夢・希望」とは言わない。

みたいな?

 

 

「将来的には、マラソンの日本記録を更新したい」とは言うけど。

「未来的には、マラソンの日本記録を更新したい」とは言わない。

なんだか、ピチピチのタイツみたいの着て上下動ゼロで移動しそうだよね。

 

イメージの貧困さが昭和にもホドがあるぜ!

 

 

「将来が不安」っていうと、仕事や収入や少子高齢化みたいなニュアンスが匂うが。

「未来が不安」っていうと、地球は何十億年かあとに太陽に飲み込まれて消滅するとか、そういうニュアンスになっちゃう。

 

 

漢文として考えるとわかりやすいのかなあ。

「まさに来むとす」と「いまだ来ず」

 

うーむ、よけいわかりづれえくせえぇ。。。

 

 

。。。

 

 

きのうの朝ドラで、内野聖陽の芝居がハートにゲットオンしたあまり。

朝2回と昼と夜、4回観ちまった。

ぶんぶん首肯。

 

ヒロイン・モネのお父さん(コージ)の役。

モネのおじいちゃんは気仙沼の漁師。コージは銀行員。同居。 

「おれなんか、漁師なんか割に合わねぇ! これからは経済だ!音楽だ!って出ていったにもかかわらず、結局戻ってる。中途半端に。」

 

「だからね、娘(モネ)が東京で自由に楽しそうに仕事してるの、ホントうれしいんです。娘たちは希望だ。もう1人いるんですけどね、頑張り屋さん(モネの妹みーちゃん)がね。」

 

「でも、娘たちだけじゃねえな。子どもたち全員にこう言ってやりてえ。」

 

「『どうなっか分からねえ世の中だ。どこ行ったっても構わねえ。ただ、おまえたちの未来は、明るいんだ』って。『決して悪くなる一方じゃない』って。」

 

「おれは信じて、言い続けてやりたい。」