キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

夢や希望しか見えない未来だけを語りたい、みたいなこと

いや、別になんでもいいんっすよ。

てめえが勝手に走らなくなったところで。
マラソンが大っ嫌いになったところで。

それってしょせん
個人の趣向や方向性の話じゃん。
勝手にてめえがおもってりゃいいことで。
個人レベルで閉じてりゃ。

でもでも。
おんなじような沼にはまってるひとが
近くにいたとすると、話は別で。

てめえの忸怩ってのは
基本的にてめえが一人で抱えてるから
特有で孤独なことだとおもいこんでるけど。

おんなじような沼にはまってるひとを見つけると
「そうじゃあ、なかったんだ!」
「だよね、だよね!」
ってなりがち。

おれが抱えているものは
特有でも孤独でもなかったんだなって
いくぶん、気持ちが楽になる。
ともすれば、居心地がいい。

気になれるじゃないすか。

でもでも、それは反面、
沼を共有するってことで。

お互いがお互いを
ネガティブ沼に引きずり込みあう
的なことになりかねないので

ほんとうは、けしていいことじゃない
ってこともわかってて。

なので、足を踏み入れて
沼のゆるま湯にひたろうぜって
声をかけるべきかどうか
あるいは、知らんぷりを決め込むかどうか
ってのは、ものすごく悩ましくって。

ずーーーーーーーーーっと悩んでも
どっちが正解か、わかんない。

。。。

沼にはまってる期間もそこそこになり
本拠地は陸じゃなくて沼なんじゃね?
おもえてくるぐらい。

いいかげん、
「老舗銭湯の常連一番風呂じいさん」
ぐらいの貫禄がついてきた。

でもでも。
あんたもあたしも、ほんとうは
あたうるならば沼から脱出したい。
って気持ちは性懲りもなく抱えてるはずで。

忸怩はしてる。

めんどくせえからもう
走るのやめちゃえともおもってる。

どっこい、おれはまだまだだよ
ともおもっておる。

かもしれない。

んで。
もしちょっとでもじぶんのなかに
「3番目」が残存してるならば
沼めあてで沼をたゆたう的なことは
よしといたほうがいい。

そこはまだちょっと
踏み入れるべき領域ではないよ。

そんなんわけで、やっぱ。
「沼の湯かげんを確かめ合う」
的なことはノーカンで。

いや、おれがね。
こないだ、はずみでついついうっかり
「沼の湯かげんを確かめ合おうぜ!」
的なこと言っちゃったんだけどね。

少なくとも、いまではないし。

たぶん、彼は
沼から出たいとずっとおもってて
そんな遠くない先、出るはずだ。

キクチだって、出られるもんなら出たいし
出してくれるんなら喜んで出てあげる。
ていどの気持ちは残ってる。

もし沼のことを語るならば
あくまで「後日談」として
喉元を過ぎたものとして笑い飛ばしたいの。

それがよくわかってないけど
「ランナーにはランナーとして」 って意味だよね。

で、OK?

ただ。

沼を前提としない逢瀬であるならば
いつでもいまも大ウエルカムである。

とりあえずは沼を脱出を試みますかね。
あの日あの時のように、前を向いて
夢や希望しか見えない未来だけを語りたい。

超絶私信。