いや、別になんでもいいんっすよ。
てめえが勝手に走らなくなったところで。
マラソンが大っ嫌いになったところで。
それってしょせん
個人の趣向や方向性の話じゃん。
勝手にてめえがおもってりゃいいことで。
個人レベルで閉じてりゃ。
*
でもでも。
おんなじような沼にはまってるひとが
近くにいたとすると、話は別で。
*
てめえの忸怩ってのは
基本的にてめえが一人で抱えてるから
特有で孤独なことだとおもいこんでるけど。
おんなじような沼にはまってるひとを見つけると
「そうじゃあ、なかったんだ!」
「だよね、だよね!」
ってなりがち。
おれが抱えているものは
特有でも孤独でもなかったんだなって
いくぶん、気持ちが楽になる。
ともすれば、居心地がいい。
気になれるじゃないすか。
*
でもでも、それは反面、
沼を共有するってことで。
お互いがお互いを
ネガティブ沼に引きずり込みあう
的なことになりかねないので
ほんとうは、けしていいことじゃない
ってこともわかってて。
なので、足を踏み入れて
沼のゆるま湯にひたろうぜって
声をかけるべきかどうか
あるいは、知らんぷりを決め込むかどうか
ってのは、ものすごく悩ましくって。
ずーーーーーーーーーっと悩んでも
どっちが正解か、わかんない。
*
。。。
*
沼にはまってる期間もそこそこになり
本拠地は陸じゃなくて沼なんじゃね?
おもえてくるぐらい。
いいかげん、
「老舗銭湯の常連一番風呂じいさん」
ぐらいの貫禄がついてきた。
*
でもでも。
あんたもあたしも、ほんとうは
あたうるならば沼から脱出したい。
って気持ちは性懲りもなく抱えてるはずで。
忸怩はしてる。
めんどくせえからもう
走るのやめちゃえともおもってる。
どっこい、おれはまだまだだよ
ともおもっておる。
かもしれない。
*
んで。
もしちょっとでもじぶんのなかに
「3番目」が残存してるならば
沼めあてで沼をたゆたう的なことは
よしといたほうがいい。
そこはまだちょっと
踏み入れるべき領域ではないよ。
*
そんなんわけで、やっぱ。
「沼の湯かげんを確かめ合う」
的なことはノーカンで。
いや、おれがね。
こないだ、はずみでついついうっかり
「沼の湯かげんを確かめ合おうぜ!」
的なこと言っちゃったんだけどね。
少なくとも、いまではないし。
*
たぶん、彼は
沼から出たいとずっとおもってて
そんな遠くない先、出るはずだ。
キクチだって、出られるもんなら出たいし
出してくれるんなら喜んで出てあげる。
ていどの気持ちは残ってる。
もし沼のことを語るならば
あくまで「後日談」として
喉元を過ぎたものとして笑い飛ばしたいの。
それがよくわかってないけど
「ランナーにはランナーとして」
って意味だよね。
*
で、OK?
*
ただ。
沼を前提としない逢瀬であるならば
いつでもいまも大ウエルカムである。
とりあえずは沼を脱出を試みますかね。
あの日あの時のように、前を向いて
夢や希望しか見えない未来だけを語りたい。
超絶私信。