夕方。
ムスメっこからLINEがすっとんできた。
きょうから夏休みのJK(女子高生)。
おうちでくつろいでたらGパイセン登場。
ご本人登場。一大事である。
Gが超絶苦手なムスメっこ。
そこをなんとか。
「横たわってる」までもってったようだ。
ムスメっこなりに、一人ですげえ奮闘したんであろう。
*
キクチがおうちに帰ったら。
おうちは誰もいなくって。
ムスメっこは夜、塾があったからって話なんだけど。
「おなじ空間に同居してるのがこわくってこわくって」
「まだ塾の時間には早かったケド」
「ソッコーでおうちを出て、塾で自習してた」と。
ちいせえちいせえw
*
かたや。
キクチがおうちに帰ったら。
ちゃんと、おばあさんの椅子の下にGが横たわってた。
「ワイルド」に乗っかって。
「買ってすぐ、コーラのキャップを捨ててやったぜ〜」(「ぜ〜」をファルセット)
「じぶんで袖をひきちぎってやったぜ〜」(「ぜ〜」をファルセット)
って返そうとしたけど、すんでのとこでなんとなく自重。
結果論的に、その自重は大正解だったらしいです。
*
「楽しんでいただきたい」というサービスの提供側。
しかし、受け手側がそのサービスを享受していただけないとしたならば、よしんば提供側がそのサービスを最高のおもてなしと考えていたとしても、しょせん、提供側のジコマン・押しつけに過ぎないわけである。
もうね。
じぶんでもね、何を言ってるのかわからん。
まったくもって、わかんないっすよ!
Sugiちゃん(あわよくば、ファルセット)。
*
ってのは、どうでもよくって。
*
ここで言いたかったのは。
報告:「(Gを)素手でつかんで外にぶん投げてやりましたわ」
実際:できるだけじぶんから遠いようにヒジをピーンと伸ばして、ホウキでもってチリトリにGのむくろを乗せ。(もし動いたらおしっこチビるとかgkbrしながら)
実際2:腕ピーンの体勢をキープしたまま、両手でもってたホウキとチリトリを左手でにぎりかえ。
実際3:空いた右手ですばやく網戸を開け。
実際4:庭の暗闇に、Gのむくろを(チリトリ越しに)放り投げ。
実際5:秒で網戸を閉め、心底ホッとした。
というギャップが仮にあったとする。
これって、どうなの?と。
その是非。
*
「是非」ってえと、ちげえな。
このばあい。
「Gがばあの椅子の下に転がってたという恐怖のどん底を、キクチが取り除いて、超絶豪邸に『Gが存在しない世界線』という平穏・平和を取り戻した」
という出来事は、一点の曇りもない真実である。
どこもかしこもビタ一文、曇ってない。
ただちょっと。
プロセスをキクチブレイブ的にふくらましただけの話である。
LINEのあと、実際に家族が帰ってきて実際に話したときはもう少しだけ盛って。
「ツーシームで。。。」ナドト、クソ余計なことを付け加えたのは、この一連の流れからすると、いささかゆきすぎたかなって反省もちゃんと忘れておらん。
*
何を言いたいかというと。
この、ね。
「0から100をでっちあげる」的な作り話だったら、そりゃどうかなってなるケド。
「基盤?根底?に1の真実がちゃんとあって、それをエンターテインメントとして100に昇華させた」ってのは、総じてぜんぶ真実って言ってもよくて。
要するに。
「家族に褒められたいキクチ」が色気づいて、「家族に『すんごく』褒められたいキクチ」になりたかったってだけの話なのね。
おのれのカラダを張って平和を取り戻したっていう揺るぎない事実に、何を言われようか?
*
あまつさえ。
実話にじゃっかんストーリー性を添加したところで。
結果的に誰も傷つけてないどころか。
超絶豪邸に、ちょっと大げさにいうと超絶ビッグシティ狛江に、ひいては日本に、世界に。
Gに怯えることのない、もとどおりの平和な日常を取り戻したわけで。
そんないわば正義のヒーローは、もっともっと称賛の嵐を浴びたっていいんじゃないかっておもうのに。
よしんば、その功績に比して評価があまりにも過少なんじゃないすかね?
すら、おもう。
。。。
果ては、野球にビタ一文関心がないムスメっこ。
「つーしーむって何のこと?」とかね。
あまりにもあまりですよ。
そんなん、おれに訊くなよ!
ダルビッシュのユーチューブでもみてろよ!
キクチの選手生命を賭けた、
右肩がちぎれんばかりの渾身のツーシームに
そんな仕打ちって、どんだけの仕打ちだよ!
(→超絶オイシイっすw)