何日か前だったかな?
おおお、たしかにかに!っておもった。
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ボクシングの村田諒太が、テレビ番組の出演を断ったと。
その番組ってのは、いままでの五輪ピックの金メダルをランキング形式でお届けする的なもので。
「金メダル総選挙」みたいな?
「みんながそれぞれ、命を賭けて獲った金メダルに順位をつけることには賛同できない」みたいな理由だったとおもう。
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言われてみれば、村田選手のおっさるとおり!
むつかしいことはわかんないけど、たとえば。
「マラソンの金メダルと重量挙げの金メダル、さあどっちがすごい?」
って言われたって、判断基準がなさすぎる。
何をどう比べりゃいいんだぜ?って話でしかない。
当事者だったら、それで優劣?みたいなことをつけられても釈然としないものが残るのはあったりまえである。
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かたや。
エンターテインメントとしての見せ方の手法のひとつ。
として割り切れば、わかりやすくていい。
絶対的な価値を決めるものではなく、
あくまで人気投票デス!的な。
「なんたら総選挙」のたぐいって、ランキングには大して意味がない。
お城とか、武将とか、高校野球の伝説試合とかね。
このグループでどのチャンネーがいちばんすき?とかね。
概してぼくたちあたしたち、ランキングモノがすきじゃん?
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たとえばむかし、ビジネス雑誌で毎年、資格ランキングをやってて。
それがその雑誌のドル箱企画だってんで。
でも、マラソンの金メダルと重量挙げの金メダルみたいなもんで。
医師免許と司法試験と公認会計士と国家一種とハーバードのMBA。
「何がいちばんすげえでしょうか?」ったって
そんなん、どれもとてつもなくすげえよ!
っておもいつつ夜なべしてつくってたとかは、マジクソどうでもいいな。。。
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何を言いたいかというと。
つくる側と、俎上に上げられる側。
どっちの気持ちも、わからんでもないってことで。
人生の極みみたいなものを知らぬ
ド平民キクチだてらは、しょせん。
そのていどの浅くうっすい感想しか持てないわけでw
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話を五輪ピックに寄せてみる。
きょうの糸井重里のコラム。
たぶん、ほとんどの人たちが、賛成という気持ちと、反対という気持ちの両方を、濃くあるいは薄く持っている。あんなにたのしみにしてたのに、という記憶も消えてない。チケットの申し込みに夢中になったなぁ、とかね。中止にするならすればいいと、考えたこともありました。
キクチだてらもおんなじ感じ。
「こんな状況でオリンピックなんかしてるバヤイじゃねえだろ!」
「こんなもん、やめちまえやめちまえ!」
「どうせ金儲けのすくつなんだよ!」
おもう反面。
過去のレジェンドどもの名場面に想いを馳せて。
このひとたちはここに来るまでにどんだけのことを重ねてきたんだろうとか。
リアルタイムでそこに出くわして。
このド平民だって、いままでどんだけそのパフォーマンスに心揺り動かされてきたことだろうとか。
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あたうるならば。
せっかくだから今回もそういうシーン、みてみたいなあ。
って気持ちもあって。
じぶんのなかにその両方がおんなじぐらいの量?比率?でもって有してるから。
庶民レベルでその間の整理がつかなくて困っておる。
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。。。
*
あ、当初、言おうとおもってたことからどんどんどんどん、ズレてるぜ。
最初書こうとおもったのは。
「金メダルに順序をつけるのはおかしい」
ってのは、たしかにそうかもってなって。
「じゃあキクチが最初に目にした日本人のオリンピック金メダルは?」
ってなったわけです。
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1974年生まれのキクチ。
1976年のモントリオール五輪は、物心ついてない。
1980年のモスクワ五輪は日本不参加。
うっすら、モスクワ五輪のマスコットのアニメ「こぐまのミーシャ」をみてた記憶はある。
ので、五輪ピックを体感したのは1984年ロスが原体験。
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「カールルイスの五輪」といわれた1984ロス五輪。
「日本人の金メダル」って意味では。
体操・具志堅幸司の個人総合と
柔道・山下が強烈に印象に残ってる。
でも、冒頭の村田諒太の言にしたがうと。
「金メダルに価値の軽重はねえ」ってんで。
じゃあ、原体験として。
キクチが最初に日本人の五輪金メダルを目撃したのはいつ?
って話になるじゃないすか?
原体験を客観的な「日時」にしたがうのは
ランキング付けではないであろう、と。
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(ネットで検索すっと)
(ライフルとかレスリングとか)
(体操の種目別でも日本人は金メダルを獲ってらっさる)
(書いてておもいだしたので加えると)
(リアルタイムで観てた的には)
(山下・具志堅のほかに)
(柔道は無差別級が最後だけど)
(95kg超級で斉藤が金メダルを獲ってたの観てた)
(体操は個人総合の前にたぶん)
(種目別ってのもあって)
(森末慎二の鉄棒も、観てた)
山下・具志堅・斉藤・森末。
日付で攻めよう。
それによって、キクチの原体験の原体験が炙り出されるはず。
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って、軽くググったかぎりで。
日付まではわからなかったでござる。。。
ショボいキクチの限界・ハズ・カムぇ。。。
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当時10歳のリアルタイムの記憶では。
エジプトのラシュワンが山下の怪我してる脚はあえて攻めなかったとか。
具志堅幸司がもうかっこよくてかっこよくて、翌日から学校で着地のフィニッシュポーズをキメてガッツポーズしながら「キクチンヒロシ!」とかほざいてたとか。
そういうのもあんだけど。
天才少女・長崎宏子が負けたの?
ってのを、スイミングスクールの待合室でみてどよーんってなったり。
「世界最強だったはずの瀬古選手が35k過ぎで先頭集団から脱落した!」ってのを、家族で千葉の大網に海水浴に行くとちゅうカーラジオで聞いてて、「この世、終わったわあ!」っておもったことが衝撃的だった。
「マックで得点集めると、イーグルサム(ロス五輪のマスコット)のヨーヨーもらえんだぜ!」とかね。
。。。
老害ジジイのむかし語りは、もうどうでもいいな。
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表題「やったことの価値」って意味では。
(五輪金メダリストと併記すんのは違うかもだが)
市民ランナーにジャストコレズバリな気がする。
「価値」というものが個人個人に拠る。
あえてよけいな補足をすっと。
「絶対的な時計の速さには拠らない」
みたいな世界が、かつてもいまもどうしようもなくすき。
たぶんむかし、マラソンをがんばってたころ
そういう価値観のあり方?
っていう空気感がすきだからこそ走ってたってのもある。
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長くなっちゃったけど、わかりづれえ?
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ちょっとでもわかりやすくしようとおもって。
勝手に(きのうもきょうもなw)
ヒトサマを取り沙汰してみると。
そのキクチの判断基準の源にあるのは
「アレキさんがサブフォーした(ことがある。かつて)」
これは、とーんでもなく偉業なわけですよ。l
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たしかにかに、サッコン。
市民ランナーで速いひとはいくらでもいらっさる。
そういうひとって、いわく言い難いオーラがあって。
それはキクチごときにはわからない、すごいことだとおもう。
ふだんの目的意識とか折れない心とか、根本的な走るの大好きな気持ちとか。
心の底から敬服しかない。
なんで敬服するかってえと、キクチはとてもできないことをやってるから。
リスペクトの塊。
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かたや。
(いちいちおなまえをあげつらっちゃってすんません)
(それはあくまでわかりやすく的なだけで、それ以上の意味はないっす)
「ふらっとさんが調子上がってきて、タイミング合えば2時間35分切れるじゃん?」
「カミさんもFさんも、とっくに2時間半切っていいんじゃね?」
「フジヤマ、ちょっと最近おとなしくね?」
「petaさんなら、おれは45分切れるぽてんしゃるあるとおもうんっすよ」
「お祝い飲ましょうね!」
もあれば。
「ネコさんとか原パンさんとか、マッドだな!」もある。
みたいなことがあって。
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でも。
「あのアレキさんがかつて、サブフォーしたことがある」
という価値は微動だにしないじゃないすか。
そういう感じ。
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このエントリー、どうしめりゃいいってえの?
あ、たとえば。
オチがめっかんないから。
つまんねえ感じで身を切る。
キクチは遠いむかし、マラソンを3時間01分で走ったことがあった。
それを「あと1分、残念!」とは微塵もおもってない。
じぶんが積み重ねた価値として誇りにおもってる。
遅いとか速いとかじゃなく。
何年も取り組んだことの証左。価値。
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あとこないだの4月、新横浜公園でエアかすみがうらマラソンして。
マラソン相当の距離を、超絶ギリギリで4時間切れた。
(人の手をものすげえ借りながらだけど)
アレ、キクチだてらによくやったよねっておもう。
その時点で出せるものを精一杯出した証左、価値。
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3時間01分と3時間59分。
そのどっちがうれしかったかってえと
「どっちも泣きたいぐらいうれしかった」し。
実際に泣いた(らしい)のは新横サブフォーのほうだったらしいじゃん?
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。。。
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オリンピック金メダリストと小市民。
とても並列にできるものではない。
ケド、大きな枠で価値って意味ではおんなじようなものってことにしとく。
いいのだ、それでいいのだ。
いいのか???