いまだにブログを続けてる大きな理由のひとつは、そういう、ブログをきっかけにして出会った人とつながっていたいからだ。
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大きな理由とやらをまとめてみた。
きったねえ直筆、じゃーん(↓)
4つある。
「人間関係維持」は週半ばにほざいたとおり。
「生活サイクル好転」は、日々の生活にブログ更新とジョギングをうまくからめられてるときはおおむね、生活全般がうまいぐあいにまわる。
ただこれは結果論的なばあいが多くて、最近なんか調子いいなとおもうといいぐあいに走れててブログも更新できてる、という。
逆に、好転させようとしてブログを更新したり習慣的に走るようにしても、おもわくどおり好転することは少ない。ような気がする。
「承認欲求」ってのは、いわゆる「おれさまちゃんの力見せつけたる、おれすげーでしょ、すげーでしょおれ」的なやつではなく、「キクチ生きてます。消えてはいませんよ」程度のひかえめさな。
ほか、むかし頻繁に更新してたときの名残りでブログを予約投稿した日は心安らかに過ごせるとか、やめるきっかけを見失っちゃってるってことで。
これをメモってて気づいたのは、書きたい(書くのがすき)とか書いてて楽しいとか、モノ申したいことがあるとかとは決定的に違うな、と。
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そんで「ライバリー」。
(っていう物言いが適切なのかどうかは疑問しかないが。)
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なんつうか、ある種の個人攻撃っていうかうすら恥ずかしくもあり、土日の誰も見てないときにこっそり言ってしまおうってんで、上記エントリーにつづけずにここにもってきたわけなんだが。
とかいうてめえの事情、どうっでもいいな!
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。。。
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最大の原動力は、あのブログの存在である。
いやいや、ライバリーなんておこがましくていえないほど、量的にも質的にもまったく敵わないんだけど。
じぶんのなかでは勝手にライバル視。。。ってのはやっぱちょっと違うな、はりあいにして、じゃあキクチもがんばろうってんで続けておる。
「がんばろう」ってのもちょっと違うな。
きょうはてめえの言ったことを否定しまくりだな!
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あるじゃないすか。
もう何年になるっけ? いまも毎日更新をつづけてる、でいて相変わらずやたらクオリティーの高いブログが。
勝ち負けの話じゃないってのは重々承知しておりながら、負けるもんかっておもってるんっすよ。そのブログの存在を知ってからもう7年ぐらいになるんだけど、7年前とおんなじように性懲りもなくきょうも。
なんとかして勝ちたい!
(だから勝ち負けの話じゃねえってば)
あ、「キクチもああいうおもしろいブログが書けたい」かな?
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でもその。
「なんとかして勝ちたい!」ってのは、語彙の貧弱さでうまくは言えないだけで、ブログを書く刺激、原動力という意味で。
近いのはこういう。
テレビで超一流ランナーのマラソンとか駅伝を見たら、いてもたってもいられなくなって着替えて走りに出ちゃうあの感じ。
芸術や音楽や演技やスポーツですばらしいパフォーマンスに触れたら、「おれもおれのおしごとがんばろう!」っておもわされちゃうあの感じ。
要するに、てめえを湧き立たせてくれりゃなんでもいいんっすよ。
っていうと身もフタもなさすぎるし、そもそもブログ自体のことを言ってるのにあやたさんに失礼ですらあるな。
おなまえ出しちゃったな。
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で、あのブログ(ガンコに隠すw)。
事情はよくわかんないけどマラソンはやめちゃったらしいのに、その時点でブログもやめるとおもったらまだ毎日更新をつづけてて。
あまつさえ、相変わらずのクオリティーでもって。
ってのが、キクチをよけいに刺激するわけで。
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キクチなんか、おめえ何色ロードだよってぐらいの気まぐれちゃんだから(こういうのうすらさぶいな。まつもと泉)、「なるべく毎日更新しよう」って決めた2021年のまだ1月の中旬なのに、すでに7日も更新してないぇ。
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やっぱ、あるじゃないすか。
純粋にネタがおもいうかばない日も。
書き出したところで「あ、これはいかん!」って塩漬けにしちゃう日も。
ネガティブだったり内なることすぎたりして、オフライン日記に押し込んどく日も。
「更新しなくても別に罰則があるわけでもねえし。求められてもねえし」ナドト開き直る日も。
ベロベロに酔っぱらっちゃったり、なんだか疲れちゃって「きょうはいいか」ってめんどうくさくなっちゃう日も。
でも彼は毎日更新しつづけてて、たぶんよっぽどブログがすきなのか、よっぽどヒマなのかよっぽどヒマなのかのどれかかどれもかなんだろう。
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そんなんわけで。
ブログをやめるわけにはいかないし。
おれにもまだまだおもしれえこと書けるはずと信じてるし。
自縛的にがんじがらめでw
ってのは、そういう勝手なライバリーありきなんだけど。
もはやそれが正しいとか間違ってるとかわかんなくなってるし、おめえいつまでドンキホーテしてんだよっておもうし、けっこうこれってじぶんのなかの肝にあるぶぶんで。
じぶんにとっては大切なことなんだけど、恥ずかしいしヒトサマにとってはどうっでもいいことだから、もう二度と繰り返しては言わない。