しばらく神林勇太に浸ろうかとおもったんだけど、ブログ的に。
いやはや、前エントリー、ほんとヒドいよね。
あることがらに対して、一定の想いがあるということは「ものす」のの原動力という側面で考えたばあい欠かせない大切な要素だとおもうけど、想いが先行しすぎるとただのさぶい自慰になりさがっちゃう。
の、典型例。
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なので、神林についてはしばらく頭を冷やしてから書く。
あるいは、オフライン日記にだけ書いて公開しないw
ひとつ、確実に言えるとすれば。
一定の想いをもって30年以上眺めてきた箱根駅伝。神林勇太が卒業することでキクチのなかで一区切りついちゃったかな、と。
まあ、これからも眺め続けるし、表面的にはたぶん何も変わんないんだけどね。
クソどうっでもいいな!
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。。。
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前エントリーをものしてて。
キクチはあらためてつくづく、ブログ的な運動神経が皆無だなって痛感したわけですよ。
運動神経のなさを補おうと言葉を重ねてムダに長文になったけっか、何を言いたいのかぼやけちゃったし、クソ長さという関門の前に誰も読みやしねえっていう。
中身はそう悪くはないとおもうんだけどね。
なんてえの?
超絶流行語的には、負のスパイラルってえの?
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運動神経。
むかーしむかしにほざいたこれの続編というかアップデート版みたいなもんなんだが。
どなたさんかがおっさってたように、前エントリーはまさに。
「脳内で構想してる段階ではこりゃすっげーおもしろくなるぞだったのに、いざ書いてみたらぜんぜんさほどおもしろくならねえ」の典型例でもあって。
ここで言う運動神経ってのは。
想像力(アタマでふわっと考えてること)とアウトプット(それを実際に文章に起こしてみたもの)とのギャップを指してて。
上記リンクでも触れた、本来の運動神経について言及する武井壮の言がジャストコレズバリで。
「ぼくは、頭で描いたことを
身体で再現する能力は高いんだと思います」
「それがいわゆる『運動神経いい』
ってことなのかと」
つまり、想像力をアウトプットでもってどれだけ近似値に再現できるかってことで。いかにじぶんの言葉をあやつれるかってことで。
(ってのは、あんま入り込むと袋小路的にむつかしくなっちゃうからよす)
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だからこそ、「運動神経のいい書きもの」をこよなく愛してると同時に、書き手のそのブログ的な運動神経のよさに対してクソほど嫉妬の炎を燃やーすw
嫉妬の炎がぼうぼう燃え盛るような運動神経のいいブログが読みたい。
ん?ブログ「を」読みたい?
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あ、運動神経ってテーマで書き出してみてはみたものの。
「キクチは運動神経いいブログを読みたいし、クソほどの嫉妬の炎を燃やしたくてしようがねえ」って言いたかっただけで、それ以上の深みはビタ一文ねえ。
書くことがなくなっちまったぇ。。。
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そうそう。
どうせ拝読すんならおもしろいブログにぶち当たりたいってのは確かなんだけど、たぶん、言うほどつどつどそういう話はしてねえぞ。(酔っぱらってるから自信はまったくねえ!)
「キクチはウタゲでまたいつものように、おもしろいブログについて語っとる」みたいなやつ。
そんなん真に受けられて、よしんば「ちょっとキクチと飲んでみたいかな?」っておもってたかたが「いやあ、そんなめんどくせえヤツとはやっぱ勘弁だな」ってなったらどうしてくれんだぜw
国家ぐるみの陰謀かよ!
ネガキャンかよ!
もしやもしや、嫉妬してんのか?(何に、だ!?)
そんな、ヒクツヒロシです。
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いや、たしかにいろんな運動神経はわりいケド。
キクチとウタゲをカマすのってあんがい、予想を大きく越えて楽しいとおもうんだよ。
おもうんだよ。