運動会で「リレーのアンカー」ってえと、花形なイメージあるじゃないすか。
いちばん速いひとがなるもんだし、アンカー同士のあらそいは、いちばん速いひとが集う学校なり学年のナンバー1決定戦だぜ的な。
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オリンピックの決勝でも、むかしはカールルイスだったり朝原だったりがつとめてたし、絵になるのはやはりゴールシーンだから、「アンカー=いちばん速いひと」っておもうわけで。
でも陸上の400mリレーだと基本的にいちばん速いひとは2走で。
それは直線を走るからだし、リレーゾーンの関係でいちばん長い距離を走れるからってことらしいんだが。
ほかにもチームの方針とか個々の選手の技術により、「アンカー=いちばん速い」とはかぎらなくって。
たとえば、スタートがうまいから1走とか、コーナーワークがうまいから3走とか。
(1走がスタートのうまい山縣とか多田だったり、桐生祥秀はいつも3走だったりするじゃないすか)
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そもそもカールルイスって、予選は温存して決勝しか走らなかったし、そのぶんリレーの練習もしてないだろうから、バトンパスをしなくていいアンカーになったとも考えられる(妄想)。
あるいは、スタートがヘタクソだったから1走じゃねーし、アンカーしかできなかったとも考えられる(妄想)。
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駅伝はもっとわかりやすくて。
(最終区が最長区間でエース区間な場合は別として)エース区間・準エース区間と呼ばれるものがあったり、上り基調、下り基調な区間があれば、そこに強みをもつ選手が起用されたり、ロンのモチ、チームの方針や作戦もあるから一概にはいえなくて。
これはあくまでキクチのイメージだケド、駅伝のアンカーって「ただの最終区なひと」な感じがする。
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そりゃ、優勝争いや入賞争い、シード権争いが最終区にもつれ込むことを考えりゃ、最終区にもつおいひとを配置できれば言うことはないんだろうが。
駅伝って勢いのスポーツでもあるから、エース級はやっぱり1区とかエース区間を走らないと勝負にはならないわけで、アンカーにまで駒を残せておけるってのはそれだけ戦力が充実しているチームだと言える。
だいたい「アンカー適性」なんて聞いたことねえし。
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かたや、小中学校の運動会を通過してきたぼくたちあたしたちは「アンカーがいちばん速い」ってなんとなく刷り込まれてたりして。
あれだな。
その刷り込みって、おなじ運動会でいえば騎馬戦の大将っていちばん後ろに控えてるもんだし、綱引きのアンカーも最後尾にいるし。
柔道とか剣道の団体戦が先鋒→次鋒→・・・→大将と進んでいったり、紅白歌合戦のトリとか、フジヤマさんがいつもスタート直前に会場に着くとかw、なんとなくそういう仕組みになってるからかもしんないな。
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「アンカー」っていう言葉ベースでいえば、直訳すっと船の「錨」で。
うまく説明できないけど、なんか船をつなぎとめておくのにすげー重要っぽいし。ニュースキャスターとかニュースのアナウンサーとか編集長って「アンカー」「アンカーマン」と呼ばれたりもしてる。
うまく説明できないけど、撮って出すのの出口をになう、なにやら重要な役割なにおいがするし。
このくだり要る?
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。。。
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こっからいきなり忌々しい自分語りをはじめるわけだが。
キクチは1回だけアンカーをつとめたことがある。
中2のときの駅伝の県大会だ。
その年は横浜の能見台ってとこの、団地の周回がコースだった。
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大都会横浜の南のほうって、川崎の北のほうの田舎中学生からすると行動範囲のぜんぜん外で。もうほとんど外国で。
すげえざっくり言うと「神奈川の左上から右下にいく」もんだから、電車だといくつも乗り換えないと行けない「未開の地」。
そのころから高校野球がすきだったから「あの愛甲を輩出した横浜高校があるとこ」ぐらいのことしか知らない。
なんなら。
物理的には横浜よりだんぜん遠いけど、小田急線1本でいける小田原のほうが全然近さを感じる。ぐらい。
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。。。
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中2秋の県駅伝でキクチはアンカーをつとめた。
そのころにはもう、小中学校単位の運動会とは違う、ガチの駅伝の「アンカーはいちばん速いわけじゃない」ということはうすうす知っていた。
実際、そのエース区間は1区と2区で。おなじ最長距離を走る最終6区にしても、チームでその次のレベルのやつが走る感じだったし、実力的にもキクチはチームのエースではなかったし。
かたや、勝負の県駅伝でアンカーになったことが決まったとき。
親や同級生は「アンカーなの。すげー!」っていうので空気を読んで黙っておいた。(いまは中学生の駅伝も全国大会まであるけど、当時は県大会どまりだったので、最後にして最大の試合扱い)
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しかしして、県駅伝。
よゆうの入賞圏内でタスキを受け取ったアンカーキクチは、チームを入賞圏外に連れ去るという激走をカマしたんであった。。。
稲中にはあと1枚、駒が足りなかったってことなのかな?
写真はゴールの300mぐらい前。
スカイブルーのランシャツランパンに青のソーティー。
(稲田中学校はこの、黒のランシャツランパンにもパスされ、入賞を逃した)
2分ぐらい後。ゴール後。
この試合で引退するパイセンがたに申しわけなくて合わす顔がなくて、死ぬんじゃねえかってほどおいおい泣きじゃくった。
だけど、顧問もパイセンもチームメートも一言もキクチを責めなかった。それで逆に、チーム競技の残酷さってものを思い知らされた。
だからいまでも横浜って苦手なのかなあ。
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っていうかね、ゼッケンの位置上すぎじゃねw
あ、隣のひともおんなじ高さだな。