キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「誰にも負けねえよ」その2

ヤッくんは中学の学区内にある4小学校では、すでに有名だったらしい。

(中学って、いくつかの小学校から集まってくるじゃん)

 

「連合運動会で全体の2番」だったからだ。

 *

 

連合運動会ってのは、川崎の小学6年生を対象とした陸上大会。

学校代表の選手が短距離とか長距離とか高跳びとか幅跳びとかリレーとかであらそう。

個人種目は1校2人ずつだったので、「連合運動会に出た」ってのは校内?市内?ではそれなりのステータスになる。

 

 

だいたい小学生なんて、じぶんがかよってる学校以外の世界はよく知らないじゃないすか。

 

キクチも長距離で出たんだけど(あ、長距離っても小学生だから1000mな)、他校のひとがみんなデカくてじぶんより速そうに見えてビビったし、タータンの400mトラックが生まれてはじめてだったので、等々力競技場に入ったしゅんかん、広すぎてビビった。

 

川崎ってこうもん見えてもいちおう政令指定都市だから、中学は30数年前で50数校あって、小学校はよくわかんないけどその2~3倍とすると120~130校あるってことになるのかな?

(って軽くググったら令和2年現在で114校らしい。少子化にともなう統廃合がそれなりにあったとして、当たらずとも遠からずくせえ)

 

ヤッくんはその連合運動会の100mで全体の2番だったという。

(なおキクチは「参加することに意義がある」的な結果な)

 

 

キクチの陸上部仮入部、2日目。

前日の1500mにつづいて、こんどは100mのTTがおこなわれた。

そこでヤッくんはぶっちぎりのトップだった。

 

たまたまヤッくんと同じ組で走ったオーツくんは(彼も違う小学校で連合運動会のリレーメンバーだったほどなんだが)、まったく歯が立たねえあいつはすげえってビビり倒してた。

 

そうやって圧倒的に速いし、1年のくせにゴールでちゃんと胸をつき出してフィニッシュするのがなんともモノホンっぽくて、かっけえなあって眺めてた。

 

勝手に「陸上部はやがて、ヤッくん(とキクチ???)がひっぱってくんだろうな」っておもってた。

 

 

短距離と長距離それぞれでいちばん速いもの同士ということもあってか、ヤッくんとはわりとすぐになかよくなった。

 

キクチは前エントリーでほざいたように初試合までの2ヶ月間でぐんぐん記録が伸びてって自信もついてきたし、転校生だから存在感を見せなきゃってんで「誰にも負けねえよ」ナドトイキってみせたりして、それをヤッくんと顔を見合わせ、言い合ったりしてた。

 

 

ところが、6月の市通信。

1年100mに出たのはベンちゃんであった。

ヤッくんではなかった。

 

 

あ、ベンちゃんってのは前にどっかで書いたな。

翌年、ソウルオリンピックで世界記録を出して金メダルを獲った(んだけどドーピングで失格になった)ベン・ジョンソンにちなんで。学校でいちばん速かったから顧問が「ベン」って呼びはじめた。

そのベンちゃん。おれらの代の部長。

 

モノホンのベンジョンソンのドーピングが発覚したとき、なぜか顧問に叱責された、でおなじみのベンちゃん。

顧問てめえで名付けといて「ベン、おめえのせいだ」って何だぜw でおなじみのベンちゃん。

「ハーレー」のドライバー、でおなじみのベンちゃん。

www.kikuchiroshi.com

 

 

6月の試合に出たのはベンちゃんだった。

ヤッくんではなかった。

 

理由やいきさつはわからない。

 

こっちはこっちで長距離の練習についていくのがやっとだったし、短距離と長距離なんてそもそも、練習中は「おなじ会社の建築事業部と化学事業部」ぐらい、ほぼまったく接点ないし。

 

わかりやすくたとえようとして、よけいわかりづれえパッターンぇ。。。

 

 

6月の試合の日、予選をいい感じで通過し、決勝を前にちょっとビビってるキクチにヤッくんは言った。

「誰にも負けねえよ、だよな?」

 

「お、おうよ。負けるわけねえ。。。」

 

しかしして。

まあ、決勝は「負けた」んだけど、翌月の県大会に進むことはできた。

 

 

かたやヤッくんは、夏休み前に陸上部を辞めてしまった。

練習をサボりがちだったりして、パイセンにシメられたとか試合に出れなくて心が折れたんだろうとかいろんな憶測が飛んだが、本当のところはわからん。

 

クラスはぜんぜん違ったし、ほかに接点も見当たらなかったし、家が近いわけじゃないし、なんかあるじゃないすか「辞めたひとに話しかけるの気まずい」的なフインキもあって。

 

そんなこんなでヤッくんとは、ぐんぐん疎遠になってった。

 

 

。。。

 

* 

 

とんでとんで中学3年の秋。

川崎? 神奈川?は、春の通信陸上ってのと秋の総合体育大会ってのが2大試合で。

(春は全国大会までつながってるのでともかく、秋は神奈川のローカルルールなのかどうかはわからん)

(実際、少なくとも当時は秋の総体は県大会までだった)

 

秋の総体は総体っていうだけあって、川崎の運動部全体の学校対抗戦で。たとえば野球が1位なら10点、陸上が3位なら7点みたいなのの合計で(点数はテキトー)。

 

 

陸上競技も、春の通信は各種目1校1〜2人なのに、秋の総体は各種目2〜3人まで出られて。そうすると各校、陸上部以外のひとも駆り出されたりして。

たとえば、バスケ部の巨漢エース(現床屋)が砲丸投げに出たり。

 

 

短距離の100mには、その後野球部に入ってたヤッくんも駆り出された。

 

つづく。