こうもんみえても腕立て伏せはほそぼそとつづけてて。
きょうび、「10回できなかった」になった。
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2ヶ月弱前は「3回できなかった」だから、じぶん比、超絶大躍進と言っていいとおもうの。
「3回できない」→「10回できない」をざっくり3倍とすっと、スケール感的には100m20秒のひとが7秒になったようなもんで。マラソンを5時間59分のひとが1時間59分になったようなものだ。
過言だ。
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やってて楽しいし、クソ暑いなか1分ぐらいで「やったぞ」って安い満足感を得られるので、わりと積極的につづいておる。
待ってろ、プロップ!(あと8年ぐらい)。
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そんで、こんな「クソザコのもやしっこのクソほどモテない」だてらが、てめえの腕立て伏せについて語ってみる。
だてらに底流するテーマは「回数じゃねえ!」で。
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3回できない(正確には2回)なときから「ちゃんとやってこそ」みたいなことは実践してきて。
○胸が地面につくまで落とす(武田真治の受け売りぇ)
○肘はわきを締めて腕を胴体と平行に(カナセンセイの受け売りぇ)
ってのが、形式面の話。
あと、てめえで勝手に決めてるのが
「後味わるく終わる」
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たとえば、やっとこ3回できたらとにかく4回目に挑み、カラダは落とせるけど持ち上げられずにぺしゃんってなるとこで終わる。
(よくわかんないけど、腕立てって「カラダを持ち上げて肘が伸びてこそ1回完了」だとしたら、このやり方は最後かならずインコンプリートってことになるのね)
どうにかカラダを持ち上げようとぷるぷる悪あがきして、「ヌホッ、もう限界」ってぺしゃんってつぶれる結末。
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だもんだから、着地点を見誤って最後の1回(できないつもり)がぎりぎり持ち上がっちゃったりしたらなかなかアレだ。「後味わるいためのもう1回」がおのずと開始される。そんでぺしゃんってつぶれて終わる。
このインコンプリートな後味のわるさが、よくわかんないけどとても心地よい。
なんでだ?
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というわけで、もう少しつづけてみる。
別に引き締めたいとか筋肉つけたいとかはまったくない。
ゴールどこ?
ゴールなんかなくって全然いいことも、ある。
あ、そういえば「教えておいてもらいながら」と「教えてもらっておきながら」の違い、さっぱしわかんないわ。誰に語りかけてるかの違い?