キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

続・プロレス最強説

あのう、コレ。

あらかじめ言っとくと、「Fさんインスパイア」の仮面をかぶった換骨奪胎、というキクチのいやらしさスタートな。

blog.livedoor.jp

 

ヒトサマのブログにてめえの薄汚ねえなまえが出てくると、あんがいうれしい。

あまつさえ、これですもの。

というかですね、基本的に「プロレスが成立しそうな人」にしか絡みにいきません。このブログでよくキクチヒロシさんに言及したりするのは、なんとなくキクチさんとはプロレスが成立しそうだなあと僕が一方的に思い込んでいるからという部分もあります(笑)。

「プロレスしかけてやってもいい」の俎上にあげてくだすってるってすげえよキクチ。百歩ゆずって、少なくともdisではないな、と。

 

 

「(ブログ的な)プロレス」という言葉にピクッと反応するのを抑えられない。

(ここからが換骨奪胎デアル)

 

なぜならば、むかーしむかし、こんなクソエントリーをものしてたからで。

www.kikuchiroshi.com

 

Fさんとは異なり、キクチは競技?エンタメ?としてのプロレスにはさして興味がないし、知識もまったくといっていいほど、ない。

 

でも、世の中はプロレス、あるいはプロレス的なもので成り立ってる。

と、ガチでマジでおもってる。

 

ていどには、「プロレス」の魅力がわかってるつもり。

 

ひとつ付け加えると、くだんのエントリーでFさんは、次のようにおっさってて。

それを勝手に、「キクチと考えの底にあるものは共通しておる」っていうふうに解釈して、それを担保に図々しくコウ、寄りかかってるわけです。

ここでいう「プロレスが成立する」っていうのはリアルファイトっていう感じではなくて、こう、「良い意味での平和な茶番が成立する」っていう感じでとらえて頂ければと思います。

 

 

だいたいさあ。プロレスって。

 

「ロープにふる」ってあるじゃん。

技をかけるほうが相手をロープにふって、はねかえってきたとこをドロップキックなりアックスボンバーなり、必殺技をしかける前フリ。

(たとえが古くさい?のは、ほんとうのプロレスを昭和にちょっとしかみてないのがバレバレだねっ)

 

あんなん、おれが「相手」でロープにふられたら、はねかえるとき、ロープをつかんではねかえらねえよ。だって、技かけられたくねえもん。

それをおめおめ?いきおいよくはねかえる。

 

 

あるいは「トップロープからジャンピングニー」ってあるじゃん。

技をかけるほうが相手をボディスラムかなんかであおむけに倒して、そんで相手が寝転がってる間にトップロープにのぼってジャンプし、ニーなりエルボーをカマすやつ。

(たとえが古くさい?のは、上におなじなっ)

 

あんなん、おれが「相手」だったらとりあえず、ソッコーでコロコロ転がって、ジャンピングが届かないとこまで逃げるわ。必死で。

あるいはそれが間に合わなければ、落ちてきたとこを膝立てるか掌底カマすか、さいあく、喉元は守る。だって、痛いのやだもん。

 

それをおめおめ?、丸腰であおむけで、喉元全開。

 

 

そういうのをごく自然な流れで、当たり前の光景としておこなわれてゆくプロレス。

それこそがエンターテインメントっていうかショウっていうか、観客を喜ばせるファースト(超絶流行語ぇ)な阿吽でもあり、大げさに言っちゃうとお互いの信頼関係なり相互理解とか尊重があってはじめて、なせる技で。

 

いまさらそんなクソつまんねえことを言うかっていう、キクチの浅さは措いて。

 

 

プロレスってそういうのを楽しむもんなんだから、客としておもくそ楽しむのが礼儀・醍醐味だし、「筋書きがあってだな」とかいうのは野暮以外のなにものでもない。

みたいなこと、あるじゃないすか。

 

その関係性とか関係性構築の過程とか、楽しみたいひとたち(レスラーも客も)がおもくそ楽しめる場のフインキづくりとか、もうパーフェクトだとおもうわけですよ。

 

むしろ、生活のあらゆるきょくめんにおいて「プロレス」できれば。

「できれば」というか、プロレスできるきょくめんに持ち込めれば、みんなハッピーじゃね?っていう。

 

げに、万物はプロレスで成り立っておる。

 

 

プロレスのなんたるかは、いまだによくわかってないけど。

「相手の100をちゃんと引き出させる余地を残して、それにおのれも100で立ち向かう」的なとこが、理屈ぬきですげえすこ。

 

 

だからというか、おれはブログ的にもウタゲ的にもじぶんにどんどんプロレスをしかけてほしいし、しかけられるとうれしい。

いや、かまってちゃん的な「しかけてくれ」じゃなくて。そういう、たとえ方が決定的に間違ってるけど、もらい事故的なサプライズってキワキワ辺境の陰キャぼっちは暗い部屋のかたすみで独りでてんしょんあがる。

 

(そういえば、Fさんが最初にキクチに言及してくだすったのはそんな了解どころかまったく面識もないころで、失礼ながらキクチは人づてで「なんか、キクチを熱く語ってるひとがいますね」ってなんかの話の拍子に話題になって、はじめて知っ(て狂喜乱舞し)た)

 

(こんなこと言うと「面識もねえのにだしぬけに何だよ!」的な語弊がボーンしちゃうかもしんないけど、そうじゃなくって、それってFさんが「こいつならいい茶番でける!」とおもってくだすったんだって勝手に前向き解釈しとる)

 

(そういえば、横浜の全力中年さんもまだ面識もへったくれもねえころに、だしぬけに「あるある50連発」的なやつであげつらってくだすったのが最初だったな。マジ失礼だなw おれそれもたぶんはじめ、人づてで知ったんだよ)

 

(人づての「人」って誰だぜ? チクリ魔かよw)

 

(カッコが連なったのでいらねえ情報をブッこんどくと、ちまきさんのここ数エントリーのは、おれすげえすき)

 

 

。。。

 

 

いらねえ情報を付加すっと。

 

くり返すけど、プロレスって最強だけど、そこにはやっぱり阿吽の呼吸とか、いわくいいがたい信頼関係のようなものが底に流れててこそ成立するもので。

 

もはやマラソンとほぼ完璧に関係ねえキクチごときが、こうしてたまにブログを書いたとおもえば、あざとくマラソンに近づけようとしてほざいてるわけですが。

 

 

「誰それに勝ちてえ」

「誰それがライバルだ」

みたいの、あるじゃないすか。ブログなりSNSで。

 

「くそー。おれも負けてられっか」みたいの。

あれって、むつかしいよね。

 

 

たぶん、表明する側はプロレスする気マンマンで。

水面下ですでに合意できてたり、すでに第2第3ラウンドだったりすれば本人同士も、よしんば周りも盛り上がれて最高。

 

でも、そうじゃないと。

受け手とのスタンスのギャップとか、未構築なぶぶんがあるとか、その他、ん?ってぶぶんが言外から読み取れちゃったりすると、ただの「マウンティング大すきマン」あるいは「とにかくケンカしたくてしようがなくて商店街をうろつく不良マン」になっちゃいかねなかったりして。

 

そこを見誤っちゃうと取り返しがつかなくなるので、慎重すぎるほど慎重になるぐらいで十分だとおもうわけです。

自戒込みで。

 

 

どっかに、おれさまちゃんのブログやる気スイッチを連打するようなブログはないものかのう。

(謎の「おめえその態度・立ち位置なんだぜ?」)