キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

「0を1にする」みたいなこと

去年の暮れにどこぞやで飲んだとき
「走る習慣は絶対に継続した方がいいっすよ」
って誰ぞやにほざいちゃって。

それはサッコンの動静的に
心の底から痛感してることっていうか
魂の叫びぐらいな趣きだったんだが。

「ナニ、そこそこ当たり前のことを、
謎の上目線で説教たれてんだこいつは」
って感じだったらしい。

いや、これは愚痴りたいとかディスりたいとか
そういうふうに取られると
本意と逆なのでむつかしいんだが。

それをコウ、おめおめ稚拙にものしてんだが。

「そこそこ当たり前」とおもえるってことは
走ることが習慣化してる側こその意見で。

すっげえたぶんだけど
じぶんにその習慣がリリースされるような
局面がやって来うるとは、
まだゆめゆめ考えてないんだろうってことで。

そうだ、その勢いでがんばれ!

大事なことなので、もう一度言っとくと
べつに愚痴りたいとかディスりたいとか
そういうんではないw

んで。

それとは違うシチュエーションで誰ぞやが、
「ひとたび習慣がなくなっちまうと
その0をまた1にするのはすげえおっくう」
みたいなことをおっさっており。

そうそう、そうなんだよ!
ってミミズ腫れするぐらい膝を打って
首肯きまくってたんだが。

そこでそこにダイレクトに首肯を表明すると
なんとなくお互いにあんまよくない気がして
よしといた。

とか、もうね。

よしといたことを、ここでコウ
おめおめとさらすのって何なの?という
クソ辺境におなじみなパッターン
とかは、措いて。

ここで書こうとおもってたことも
「0を1にする」ってキーワードを
換骨奪胎しちゃおうってスケベ心だけなので

ここで書こうとおもってたこと
に、移行す。

じゃっかん仕事あるある寄りな話なんだけど
おしごとにかぎらず。

「0を1にする大変さをわかってるひとは
無条件でちょっと信頼していい」っていう
謎の法則?理論?が、キクチ内にあって。

そりゃ、役割分担みたいなことだから
どっちがどうだとか
こっちのほうが大変だからエラいナドト
くらべてどうこうするつもりは毛頭ない。

「0を1にする」のも。
「1を100にする」のも。
「1を1でキープしつづける」のも。
「かつて10だったものが1になっちゃって
それを0にしないようにする」のも。

それぞれ大変さがあるのはわかりる。

でも、そのうえで。
やっぱり「0を1にする」、
その無を有にする作業ってのは
有を有にする作業にするよか
とんでもなく大変なことで。

たとえば「1を100にする」よか
ウン倍は、労苦をともなうことで。

いまの朝ドラの名言に沿うと
(芸術家役のひとが声高に言う)
「自由は不自由だ!」
「不自由は自由だ!」
と、似ていなくもない。

わかりやすくしようとして
よけいわかりづれえパッターン!

。。。

っていうか、おめえキクチよお、
くらべまくりじゃねーかw

あ、コレ。
棚上げしてる、このつづきで
書こうとおもってたことなんだけど。

www.kikuchiroshi.com

何が言いたいかというと。

実体験があるなしはどうでもよくて
想像力のもんだいで。

「想像でけて、リスペクトでける」

ってのはわりと大切なスキルだとおもうの。
(と、キクチは常々おもってるわけで)

これを。
視野の広さだとか、
相手の身になって考えられるとか、
わがこととして受け止められるかとか。

ってえと、急に陳腐になっちゃうな。

そこが超絶ポイントで。

えてして、じぶんを優秀だとおもってて
でも言うほどでもないひとって
0から1に持ってきたものを
なんやかやケチつけることによって
そのマウンティングしてる感じで
おのれの優秀さをアッピールしたがりがち。

みたいなこと、あるじゃないすか。

「そこを指摘するおれかっけえでしょでしょ」
的な、反面教師のてんこもり。
自戒のてんこもり。

あ、これも念のため言っとくと
なにかがあって愚痴をたれてるんじゃなく
たれたいんでもなく、一般論。
あるある、な。

キクチのサッコンの日常は、
わりときわめてベタ凪デス!!

去年の暮れ。
内職でゴーストライターした本が
七転八倒したすえにやっとこできた。

なにしろ、ムスメっこの塾代を
捻出しなきゃってんで。。。

で、その本の担当者ってのは
「細かく原稿をチェックして
ガンガン直しを入れたいタイプのひと」で。

(編集ってのはそういう手仕事ずきタイプと
あえて俯瞰の姿勢を崩さないタイプに
わりとくっきりはっきり、分かれる)

けっこうガンガン直されるから
「おれの原稿がダメなのかな」
最初のころはおもったんだけど。

直されたとこをチェックしてったら
おれがダメとかダメじゃないとかではなく
(結果、そうダメなわけでもなく)
単にそのひとがそうしたいタイプだった

手仕事したい職人寄りのこだわりさんだった
だけなことがわかって。

割り切ったり開き直ったりして。

でも、彼の手はだいぶかけさせたので
つどつど、いちおう
「いろいろお手数おかけしちゃって」
っつってたら。

「いやいや、あのただの雑多な資料群から
ちゃんと形にもってくことがすごいんです」

って、それはきっと
お世辞やらも含まれてるんだろうが。

そう言われて、労苦がむくわれたっていうか
「0を1にする」営みをわかってるひとなんだな
って、信頼度ガン上がり。
爆上げ。

「またちょっと、頼みたいことあるんすけど」
「。。。いいすか? 嫌がらないでくださいね」
とか、もうね。

完全に掌の上で転がされとるわ。

ん?
このゴーストの話はいらなくね?

書こうとおもってたことはそれじゃない。
それじゃない。

まあいいや。
そんなんようなこと。

。。。

で、そのゴースト本については
それこそ役割分担で。

前に一度、クソ辺境に下書きしたまま
棚上げしたのがあって。
音楽でいうと「作曲家」と「編曲家」
の違い、みたいなことで。

作曲家と編曲家っていうのも
「0を1にする」か
「1を100にする」かってのと
わりと近いじゃないすか。

でいて、どっちも欠かせない。
とかってことを、彼とそんとき語った。

それについてはまた、あらためてそのうち。
ザ・やんねえフラグぇ。。。

しかし、キクチ。
文章力の劣化がマジでやべえな。

最初っからねえけど。