キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

高野進が小4の教科書に書き下ろしたって文章が斜め上すぎ

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小学生の国語の授業でこんなもんに出合ったら
人生変わっちまうぜ。

というハナシ。


平日の朝はだいたい
ムスメの音読の宿題につき合う。

厳格な父親としては、あえてテレビの音量を下げない。
「それでも聴こえるぐらい大きな声で」
という無言のシグナル。

あと、厳格な父親なので、親のサイン欄におおきな花丸をかます。
ムスメの音読の出来にかかわらず。



きのうの朝もおんなじように
音読の宿題につき合ってた。

ショージキ、いつもじっくり聴いてるわけではない。

朝のせわしない時間帯。
おれだって用事をしながらなので
そうとうな片手間だ。

なんだが、ちょっとしたスキに
こんなのが耳に飛びこんできた。
たしかに、ひざを高く上げることは必要です。でも、それは地面をより強くふむために必要なのであり、ただ高く上げることに意味があるわけではないのです。

走ってるとか関係なく、本質的なこと言ってるぞ。
こりゃ、ただごとじゃあ、ねえ。

テレビの音量をミュートし、
納豆をかきまぜる手を止め、
ムスメの声を傾聴することにした。



読み終わり、親のサインをするとき
「それってひょっとして高野進ってひと?」
と訊くと「なんでわかんの?」と。

いろいろ呑み込み、
「おれが高校生のころの
スーパーヒーローだもん」と。



おれが呑み込んだ言葉ども(↓)。
呑み込んで、正解。

「いやいやいやいや。おじょうちゃん。

わかるもなにも
日本人のオトコで唯一
短距離で五輪の決勝を走ったっつう
それはそれはグレートなひとなんだぜ。

陸上の400メートルっていやあ
ボクシングでいえばミドル級ぐらい、
中国で卓球でのしあがろうってぐらい、
競争相手が多くて大変なんだぜ」




「高野進 教科書」で検索すると
光村図書のサイトにインタビューが載ってる
今回、光村図書の国語4年上巻に『動いて、考えて、また動く』という説明文を書き下ろしていただきました。

書き下ろし!?
なにスゲエこと、
そんなさらっと言っちゃってんの!?

とうなるぐらい、内容がすばらしかった。



『動いて、考えて、また動く』
というタイトル。

おれ要約で、こんな感じ(↓)。

「動くだけでも、考えるだけでもダメ。
ひとそれぞれなんだから、
『動く』と『考える』の往復で
成功したり失敗したりしながら
じぶんにとってベストな方法を見つけようゼ! Yeah!」


こんなようなことを自身の競技経験、
選手経験やコーチ経験とからめて
ものすごくわかりやすく説明してる。



おれ要約がヒドいこともあり、いくつか抜粋。
わたしが走り方を工夫し始めたきっかけは、高校生のとき、当時取り組んでいた走り方にぎもんを感じたことでした。それは、「ひざを高く上げて」「あしを思い切り後ろにける」、つまり大きな動作で走るというものです。
あるとき、「ひざを高く上げるような、大きな動作をせずに走ったらどうなるのか。」と思いつきました。静岡県の記録会でためしてみると、予想をはるかに上回るすばらしい結果が出ました。
それまでのわたしは、走るとき「ひざを高く引き上げる」ことばかりを考えすぎていました。たしかに、ひざを高く上げることは必要です。でも、それは地面をより強くふむために必要なのであり、ただ高く上げることに意味があるわけではないのです。
人によって、ほねの長さや筋肉のつき方はちがいます。ですから、習ったことをなぞるだけでは、自分に合った走り方を身につけることはできません。何がむだか、そうでないかは、自分で動いてみて発見するしかないのです。
こうした経験からみなさんにつたえたいことは、自分にとって最高のものを実現するためには、「まず動く、そして考える」ことが大切だということです。



どうして国語の教科書なんだ?
体育の教科書でいいんじゃねえのか?
それもそうとう専門的なことじゃねえのか?
体育にかぎらず、ちゃんと普遍性ありすぎるんじゃねえか?
わざわざこの運動会シーズンの直前にぶつけてきたんだ?
小4にはまだ早い&レベル高すぎやしねえか?

とか。
いろいろ斜め上、すぎる。



上の6つのクエスチョンマークには
いちいち言いたいことあるんだが、長くなるので1つだけ。

この文章が斜め上たるゆえんに
「読者対象にかかわらず、本質的なことを言っちゃう」
がある。

子どもだからって、ひつよう以上に相手の目線の高さを合わせるんじゃなく
むしろコチラの目線の高さで、最初からちゃんとモノホンを見せておく。
ということは、チョー重要だ。

前にコレ、どっかで言ってるな、たぶん。
まあいい。



子どものころ、
かるた取りで負けたくない一心で
意味も考えず丸暗記した百人一首。

何十年か経ってふと、うたを思い出したら
こんどは意味や音の深さなんかにはまっちゃって。
そうなったのは、子どものころ
モノホンを詰め込んどいたからこそだなってなる。

のと、ニアリイコール。



ムジュンするかもしんないケド。

あまつさえ子どもって。
オトナがおもってる以上に
物事を広く深く、ときにはいやらしく受信してるもの。

「オトナがそうであってほしいという子どもっぽい子ども像」
なんてのもガッテンショーチしてて
ときとバヤイによっては、忠実に演じ切れたりもする。

悪い意味ではなく。



なんだから、小4。
別に早すぎもレベル高すぎも、しない。
こんくらいのモノホンだっつっても、もうちゃあんと理解できるはず。

たとえ忘れちゃったとしても、いったん触れとけばいつかどっかで
「ああアレって、こういうことだったのね」って
なるときが来る。かもしれない。



いやあ、いまの小学生は幸せだな。
うらまやすい。



おまけ。
2ページ目以下を左から順に。
クリックすれば拡大できるのでキョーミあれば、ぜし。

マラソンのフォームを考えるうえでも、ものすごく参考になるとおもう。
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