キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

いまさらイチロー

こないだ、TBSの「情熱大陸」が2話(2日)連続でイチローで。

それなりのwktkを以て観たんだが。

観たらイチローがものすんげえすきになっちゃって。それから「情熱大陸」のイチロー回をTverで毎晩みちゃってるシマツ。

で、イチローがますます、ものすんげえすきになった。

 

まさしく「いまさらイチロー」である。

(↑表題の回収!!! はやくも)

 

 

あ、表題はそんな意図はもともとなくって、ただの符合。

「イチローについてものしてえなあ」漠然とおもったときにトイレでおもいついて「!!!」ってなった。

 

小柳ルミ子!? って。

 

 

まあ、まさしく「いまさら」っていうか。

(ここからいらねえ自分語りに入ーる。。。)

 

野球が大すきで、イチローもロンのモチ、高校のときからリアルタイムで観ておったんだが。

ショージキ、大した想い入れを持てずにいた。

 

いや、イチローをすきじゃないわけじゃなくって。

というか、どちらかというとわりとすげえすきなほうだったんだけど。

なんつうか、スーパースターすぎて。

 

いまふうに言えば「推しを見つめる」?ってよりは、野球そのもののアイコンとして眺めてる感じのニュアンスで。

つまり、好きとか嫌いってカテゴリーを超越した存在として捉えておった。

 

 

ってことに、今回の「情熱大陸」っていうか、引退会見からコッチのイチローの活動をみててはじめて気づいた。

 

 

で、漠然としてるから、何を言いたいかというと、に入りますね。

 

「情熱大陸」の前後編を観てて、いろいろおもうことはあったなかで。

自分ごと(w)としていちばんおもったのは。

「おれも現役選手さながらに動けてえ!!!」である。

 

 

イチローは、これは広く知られていることだが。

シアトルマリナーズの「会長付特別補佐兼インストラクター」という名目を利用して(←言いぐさ!)。

いまでも毎日、(かつての)セーフコフィールドに通い、現役時代さながらのトレーニングをつづけておる。じゃん?

 

まさにこれは、言い古された言葉をあえて使うならば、野球の「求道者」。

野球を究(きわ)めるためであるとか。

 

たとえば「情熱大陸」では、「万が一、求められたら『できません』とは言えないし言いたくないでしょ」という理由で、キャッチャーの練習をしてるシーンまで放映してた。

 

齢50を過ぎて。

ってのは「永遠の野球少年だね」っていうポジティブ面と「いつまでやんだよ」ってネガティブ面の両方があるとして。

 

 

でもさあ。

武道。剣道とか柔道とか空手とか合気道とか。

で達人と呼ばれるひとって、これはイメージだけかもしれんが、たいがいおじいちゃんじゃん?

猪熊滋悟郎とか。

 

要するに「道」だからか、人生の終わりに究め終わる的なスタンスで。

絵画とか演劇とか音楽とか、それこそ茶道とか華道とか書道もそうじゃん?

「50ひよっこ、60それなり、70から」的な。

 

そう考えると。

イチローの野球道(とあえて言う)は、別に無邪気っ子でも年寄りの冷や水でもない、いわば当たり前のことなのかもしれない。

(本人の努力もさることながら環境があまりに恵まれすぎてる、ってことはさておき)

 

 

話を戻すと。

(どこから話がそれたのかはさておいて)

(どこに戻るのかもさておいて)

 

キクチはイチローの、「いまでも現役選手さながらに動けてる」ってことに、深く深く感銘を受けたわけですよ。

「いま51だし、いつまで動けるかわかんないし」って。

(あまつさえ、加齢による衰えは自覚してるからむしろ、少しでも維持するために現役時代よりトレーニング量を増やしてるんだとか。ひえー)

 

そりゃ、現役時代のようなスピードやパワーはないかもしんないケド。

まだ、試合になりゃピッチャーとして134kmの豪速球を投げられるし。

高校生に混じって、守備も走塁もできる。

フリーバッティングをすりゃ、スタンドにも叩き込める。

 

ことほどさように。

「いきなりマラソンを走れと言われれば完走はできますよ!」

「子どもにおじさんかけっこしようぜって言われてもよゆうっすよ! 肉離れしたりアキレス腱切ったりしませんよ!」

ぐらいには、あたうるかぎりいつまでもいたい。

 

って、あらためておもった。

おもいましたとさ。