って前エントリーでほざいたのは、イチローがこんなことを言ったからで。
(こんなこと→「いま51だし、いつまで動けるかわかんないし」)
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前エントリーで老害みたく、「イチローは高校時代から観てきた」ってほざいたが。
イチローはキクチーの半年ぐらい前に生まれてるから、学年は1コ上なものの。
イチローは51歳で、キクチーは50歳。
どこをどう切り取ろうと同世代で。
何を言いたいかというと。
あ、「同世代のイチローがこれだけ動けてるからおれもまだ動けるはずだ」的な源氏物語絵巻をくりひろげたいってんじゃなく。
「いまのようにいつまで動けるかわかりませんからね」って言ったのね。そこ。
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50歳とか51歳って。
「もう若い頃のようには動けない」ってのは重々承知してるし。
35とか42とか47とか、「おれいまガクッと体力落ちたよね」ってあからさまに実感するきょくめんを重ねてきてて。
その延長線上にある悲しい?未来も、ある程度想像できはじめておる。
かたや。
いわゆるおじいさんの、もはや生活行動がやっとってほどに動けねえわけでもねえ。
パワーやスピードや可動範囲は落ちてきてるものの、まだわりとふつうに飛んだり跳ねたり放ったりはできる/身体の自由がそうとう利く。
ってのの、まさに境いめな時期にいるとおもうのね。
だからこそ、「子どもとかけっこ楽しめる程度」に動けるリミットを少しでも先延ばししたいとおもうわけですよ。
あわよくば、孫ができて、小学生になったころ「じいちゃん、脚速えな!」って言われたい的な。
わかるかなー、わっかんねえだろなー。
っていうか。
そういうことが頭にちらつきはじめるのが、まさに50とか51なのかもしんないね。
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ってのを、こちとらからすりゃ殿上人でしかないイチローが言うわけよ。
だもんだから、こちとらもよけいにわがこととしてすんげえ認識できたわけ。
「だってこういう世代だもんね」っておもえちゃったわけ。
すんげえ出すぎた言い方すっと。