明けてきょう12/23は父の誕生日。
生きてれば82になる(なった)。
「人は二度死ぬ」ってよく言われるじゃないすか。
肉体的な死が一度目で、誰からも忘れられちゃったら二度目の(ほんとうの)死とかなんとか。
そういう意味では、いなくなって18年近く経ついまでも事あるごとに父のことを思い出してるほうだとおもうので、どうやらまだ二度目の死は迎えてないようだ。
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ことほどさように、きょうもぽえむである。
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とはいえ。
年々、記憶が薄れてってるんだか、思い出すシーンは確実に減ってきてるような気がする。
最近、父のことを思い出すシーンは。
てめえのちょっとした日常のしぐさ、喋り方とか咳払いの仕方、食ってるときの口元の感じとか後ろにあるものを取るときの取り方とかが、「コレ父ちゃんの完コピじゃね?」って自覚するときで。
小学生ぐらいのときの写真は、おれ自身でも見分けがつかないぐらいクリソツで。
「お父さんにそっくりね」って言われるのがやでやでしようがなかったんだが。
こないだ、つくばマラソンのとき茨城の伯母に。
「ヒロシくん、どんどんキクチさんに似てきてるねえ」って言われたときは。
むしろ、すんげーうれしかった。
すぐ横だか後ろに父がいつもいる感じってえの?
逃れられないDNAってえの?
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コリクツをこねるとすれば。
目の前のヒロシを通して伯母が父を思い出した
=伯母のなかでも父はまだまだ生きてるぜ
を実感できたみたいなことだろうか。
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そもそも父は。
大学で東京に出てきていた茨城の伯父(母の兄)と意気投合して、そこからどういういきさつがあったかわからんが母と出会い、結婚することになったので。
父は、母とよりむしろ茨城の伯父との絆?がつおい。
で、茨城の伯父の家に行くと。
どうしても10年前に亡くなったいとこの話になるんだけど。
キクチは、伯父伯母に悲しい記憶が蘇るんじゃないかってそこに触れることはなるべく避けてきたんだけど。
伯父伯母がキクチさん(父)のことを話してくれるとわりとうれしいので。
ひょっとしたらおれも、もっと毅くんのことを話したほうが伯父伯母はうれしいんじゃないだろうかとおもったりもする。
話が盛大にそれた。
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父は64歳、ヒロシが31歳のときにいなくなってしまったので、親孝行という親孝行はできずじまいだった。
父は死ぬまで現役バリバリで。
病気になるまで(なってからも)わりと健康だったから(日本語ぇ)。
父がいなくなるというのは、まだ現実的に考えるには速すぎるいつか遠い未来に起きるイベントぐらいにしか考えてなくって。
これからどんな親孝行とやらをできるんだろうな。
を、漠然と考え始めるかどうかって時期だった。
強いていえば。
「あのヒロシが結婚できた!」とか
「孫の顔を見せられた」とかはあるかもしれないが。
したかった親孝行は、そういうことじゃないような気がする。
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あ、にょうぼうとかななちゃんが違うってんじゃなく。
もっといっぱい2人で酌み交わすとか。
もっと人生のステージごとの悩みを、そのときどきに応じて酒飲みながら相談するとか。
酔っぱらった勢いで、ブラックボックスな母ちゃんとのなれそめをクソうざくクソくどく問い詰めるとか。
それをまんざらでもねえ感じで語り出すさまを、じっと眺めてるとか。
。。。ぜんぶ酒じゃねーかよ!
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かたや、ちょっとおもったのは。
これはけして弁明ではなく、あくまでも現象の羅列なんだが。
キクチもかろうじて人の親になって。
ひるがえって「父→キクチ」を「キクチ→ムスメっこ」に置き換えてみると。
ムスメっこにはさんざん楽しませてもらったし。
いまも(希望も不安もひっくめて)カノジョのいまとこれからが楽しみでかわいくてしようがない。
「わが子は3歳ぐらいまでの間のあまりにもかわいさで、親に一生分の孝行をしてる」みたいなことがよく言われるけど。
たしかにそれはそうだけど。
3歳以降、いまもなお。
ずっとこっちがもらえてる気しかしない。
よしんば「ななちゃんはきょうも楽しそう」ってのが垣間見えるだけで、言いようのない幸福感に包まれる。
親孝行じゅうぶんすぎじゃん?と。
82歳の父と酒飲みながらそういう話がしてえ。