コレたぶん、プロ野球の監督のことを言おうとしてるんだろうけど。
帰り道で「きょうはこのことを書こう」とおもいついて。
考えはじめたら、頭のなかでいろいろ枝葉が広がりすぎて、当初何を言おうとしたのかわからなくなっちった。
わからなくなったというか、じぶんのなかで収拾がつかなくなった。
たとえば。
「能力」じゃなくて「向き不向き」のことだったんじゃないか? とか。
(広い意味での「マネジメント層」)に求められてることってなんじゃらほい? とか。
なので、枝葉をいろいろはしょって。
原初のてめえの問いをなるべく純粋にほざいてみる。
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いずれにしろ、持論をぶちあげたいとかじゃなく。
たんじゅんな疑問。
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で、たぶんプロ野球がいちばんわかりやすいとおもうんだけど。
監督になるような人材って。
現役時代、プレーヤーとして一流だったひとがなるじゃないすか。
基本的に。
それって、一定のリクツは成り立つ。
一流の選手だったということは、たんじゅんに「野球のうまいひと」なわけだし。
長い間レギュラーを張ってただけ、その期間ぶん、野球のことをほかのひとより長い間考えてたってことだし。
総合的に、野球に関する経験値が抜きん出ている(よく知ってる)ゆえ。
ある種の最低限の担保にはなるという。
明解な道筋。
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とはいえ。
プレーヤーとしてのスキルと監督のスキルはまた別物だから。
誰を監督にするかってなったとき、いくつかの候補の中から「この人だろ!」ってひとをえらぶわけで。
でいて、監督って立候補でなるもんじゃなく。
GMなり編成のベテランなり、あるいは企業の手練れな人事担当なり何なり。
いずれにせよ、目利きのプロが選定するわけで。
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「それなのに、大外しすることもある」
というのは、どういうことなんだろう?
その時々のチーム事情。
方針のギャップとか戦力の充実度とか。
「このひとはいまじゃなくて3年後だった!」とか。
そういうのも運不運? 枝葉のひとつとしてあるかもしんないが。
後日、あるいは在任時から。
ギャグとして昇華されちゃうぐらいアレな場合も少なからずあって。
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実名を挙げるのは憚られながら、いちばんわかりやすいので挙げちゃうと。
堀内とか立浪とか、ね。
現役時代の実績は申し分なし。
解説者としての野球理論にも定評があって。
堀内はピッチングコーチとしても実績があるし。
あと、監督としての器的なものもある程度認められていたからこそ、オファーがあったわけっすよね。
あまつさえ、内外。
フロントもファンも、監督就任時にはわりと歓迎ムードでもろ手を上げて迎え入れられた。
だのに、という。
その、うまくいったひととうまくいかなかったひとの違いがわからない。
いや。
実際にやってみたら違ったとか。
結果論として細かいことを挙げればいろいろあんだろうけど。
就任に至るプロセスと、その後の大惨事とのギャップという意味で。
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。。。
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で、何が言いたいかというと。
上記したようなプロセス。
一流のプレイヤーから、(コーチとして実績を積み)、それが認められて監督に上りつめる? というコースがありながら。
かたや現役時代、さしたる実績がなかったり。
「このひとはイメージ的に監督向きじゃないよね」って感じだったのに。
優勝しちゃたり、名監督として名を残すまでに至るケース。
そっちのほうがむしろ。
どういうプロセスで抜擢されたのかが、すげえ気になる。
「そのときのフロントに、ものすんげえ目利きがいた!」ってことなんだろうか?
むかしだけど、阪急・近鉄の西本監督とかね。
阪急の上田監督とか、広島の古葉監督とかね。
名選手だったけど完全に一匹狼だった落合とかね。
名選手だったけど前田も江藤も(金本も)いたのに緒方? とかね。
。。。
ああこのテーマ、いろいろはしょり過ぎて言い足りねえ!
気が向いたらそのうち枝葉にも言及してみる。
(やんねえフラグぇ。。。)
(このネタの需要が見当たらねえぇ。。。)