もいっこ、あまちゃんネタ。性懲りもなく。
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表題。
結論から言うと、キクチはガチだったとおもう。
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どういうことかというと。
とてもレコーディングなんてできないほど音痴な鈴鹿ひろみ(薬師丸ひろ子)。
レコーディングはけっきょく春子(小泉今日子)が代わり、歌番組でも鈴鹿ひろみのマイクはオフで、別室でアテレコ?する春子の声が流れておった。
で、後日、鈴鹿ひろみはその事実を知り。
震災後の復興チャリティコンサートでは、「初めて」じぶんの生の歌声を観客に届けたいと考え。
いざ、本番。
(薬師丸ひろ子本来の)奇跡の美声を披露することになる。
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って、雑に表題の背景をほざいたが。
あ、このエントリーをものそうとおもったのは、前エントリーに寄せられたコメントからのインスパイア。
鈴鹿ひろみが、あまりにも見事に「潮騒のメモリー」を歌い上げてるのを見て。
「鈴鹿さんはずっと音痴のフリをしてたんじゃないか」みたいなことをごちる春子。
というのが、コトのほったんで。
「実はどっちだったんだぜ?」の謎は明かされないまま、視聴者のギロンを巻き起こすこととなった。そして今回再放送された際にも、そのギロンは再燃した。
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前エントリーにコメントをくだすったかっきぃさんはおっさる。
鈴鹿ひろみの音痴はわざとやっていたことじゃないってことがちゃんと理解できていればこのドラマの正しい感想に行きつくと思うんですが、あまりに鈴鹿ひろみ(というか薬師丸ひろ子)の歌唱力が余計に素晴らし過ぎて奇跡の一回に思えず、わざとやってたことにしか思えなくて2周目もいいところで感情移入できなくなってしまいました。
たしかにかに!
さすが、慎重なあまり石橋を叩いてぶっ壊しちゃうだけのことはある。
ミス石橋w
でも、わかりる!
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いちおう「狂言だったのかガチだったのか」を整理すると。
(「狂言」はその、かっきぃさんのコメントからも拝借しまくりますね)
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「狂言説」
鈴鹿ひろみはもともと女優志望で、歌は歌いたくなかった。
その防衛策として音痴を演じ、役者方面に専念できるようになった。
(「潮騒のメモリー」は鈴鹿ひろみの初主演映画で、ゆきがかり上、主題歌も鈴鹿ひろみが担当するという、むかしの角川映画的な設定)
(まさに、薬師丸ひろ子「セーラー服と機関銃」みたいな)
ただ、影武者をさせられた春子の芸能人生がそれでむちゃくちゃにされちゃったわけだし。
その後、復興コンサート前に春子を先生にして厳しいボイストレーニングを受けるんだけど。
「10回のうち9回はまったくアレ」っていうありさまで。
本編では、すごくうまくいったときのシーンがあるんだけど。
春子がすげえ喜んで「うまくいくと気持ちいいですよねっ!」っつったら。
「私はいつもうまくいってるつもりだから、いつも気持ちいい」鈴鹿ひろみが言って、春子がやるせない表情を浮かべた。
これが狂言だとしたら。
若いときに飽き足らず、後年も春子にムダな労力をつかわせる神経ってなーに? だし。
よしんば「ポッと出のデビュー当時に張った意地を、時が経てば経つほどなーんちゃってってできづらくなっちった」としても、ちょっとやり過ぎだろ感がぬぐえない。
そもそも、本番だけうまくいったって話が出来過ぎじゃんよ。と。
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「ガチ説」
鈴鹿ひろみは自分が音痴であることを自覚してない
という設定は、むかしからずっとそうで。
だからこそ「実は春子が影武者だった」という事実を知ったとき、鈴鹿ひろみはものすごい衝撃を受けてたし。
春子がつく前にも、事実を知ってから半年間、ひそかにボイトレの先生について特訓してたそうで。
それって、いい意味でのものすごいプロ意識・プロ根性なんだよね。
前エントリーでほざいたように、鈴鹿ひろみってどこかのある時点で「大女優鈴鹿ひろみ」を演じ切ろう・それで私はいくんだって腹をくくって生きてきたぐらいだから。
よしんば、もともと歌手志望ではなく、歌をうたうことに気乗りしてなかったとしても、目の前にある役割を責任感もって精一杯果たそうとするようなひとだとおもう。
「おもう」?
ただのキクチの解釈じゃねーか!
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というわけで。
キクチの解釈? 感想?をぐだぐだほざくと。
いちばん腑に落ちたというか、ゲラゲラ笑ったのが。
復興コンサートの数日前、北三陸のひとたちの間で「鈴鹿ひろみは実は音痴なんじゃねえか説」が流れたことあったじゃないすか。
スナック梨明日(りあす)の外で赤子をあやしてた栗原しおり(安藤玉恵)に近づいていって。
赤子を和ませようとして鈴鹿ひろみが歌った「だんご三兄弟」があまりにもひどくて、赤子がこの世の終わりかと言わんばかりに泣き出したシーン。
それって、どうしてもガチでしかありえないとおもうんっすよ。
「自覚のない音痴」だからこその芸当。
というのが1つ。
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あとね、キクチは脳内お花畑ヤローだから。
「本番だけ一発、大成功した」っていうミラクルを信じたいの。
「10回に1回」を本番でやりおった! と。
これってしょせんフィクションだからこその、ご都合主義かもしんない。
けど、それはだってフィクションだから。
このご都合主義によって、ものすんげえ感動を生んだわけだし。
(少なくともキクチはものすんげえ感動した)
たびたび生き霊のように登場してた若かりし頃の春子(有村架純)も、これっきり成仏?して出てこなくなったんだぜ?
そういうご都合主義って、いいご都合主義なのよ。
なくてはならないご都合主義なのよ。
としか、考えられない。
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詳しくはよくわかんねえけどたぶん。
「伏線の回収」みたいなしゃらくさいことがことさら言われ出したのって。
「あまちゃん」をリアルタイムでやってた10年前くらいからじゃないかな?
実際、あまちゃんは物語自体が「壮大な伏線回収劇」で。
今回、2度目3度目のすでに大筋を知ってるひとも楽しめた要素って。
再々放送にもかかわらず、連日ネットニュースになってたのは。
序盤のなにげない、変哲もないシーンに。
2度目3度目のひとが「おおっ! これが! あすこにつながってたのか!」の源流を再確認でけた。
ってことがデカかったようにおもう。
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何を言いたいかというと。
大女優・鈴鹿ひろみって。
ものすごくストイックに、生涯かけて芸と向き合ってる反面、すごく天然キャラで。
売れないアイドルグループの、その中でも底辺にいた天野アキ(能年玲奈)の天真爛漫さにやがて、とてつもなく感化されてゆくほどで。
その、鈴鹿ひろみは実はド天然でしたっていうエピソードこそが。
「ガチ音痴」を立証するために撒いた伏線でしたとさ。
という気がしてしようがないわけなんですわ。
いくら大女優ったって。
本質的にずっと狂言はし続けられない
「コッチ側のひとなんです」という。
わかりづれえ?
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。。。
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長くなりすぎたので、しめる。
そんなんわけで、キクチは「ガチ説」なんだが。
ひとつ、懸念が残る。
鈴鹿ひろみを感化した、夏ばっぱ、春子、アキ。
3代のマーメイドが暮らす北三陸。
その北三陸からコンサートツアーをはじめたいと言い。
北三陸の「あまカフェ」でのコンサートで上記のとおり大成功をおさめた鈴鹿ひろみ。
「10回に1回がココでキター!」として。
北三陸はめでたしめでたしだったものの。
2回目、3回目。
次の土地では大丈夫だったのか???
ひょっとして、大女優の力量と天性で「10回に1回」を2回、3回。。。という奇跡を起こしたのかもしれないケド。
1回だけ起こすから奇跡だしなあ。
ってのが、気になって気になって。
とうぶん、あまロスから逃れられそうにない!
とりあえず。
かっきぃさんと酒場でひさびさに語ってみてえな。
あわよくば、くどうかんくろーもまじえて。