キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

社会の窓、その3

カノジョが抱えてる悩みというものは。

おれにとっては、クソどうでもいいもので。

っていうと、最初から身も蓋もなくなっちゃうんだけど。

 

 

だって、30数年前の同級生の個人的ななやみなんて。

いまのキクチの人生に、文字通りビタ一文関係ねえじゃん?

 

どうでもいいことじゃん?

 

ただ、カノジョにとっては。

「今後のカノジョの家族のあり方」にかかわる問題で。

ある種の一大事に決まってて。

なので、よけい聞き役に徹しようとおもった。

 

 

で、そんな、カノジョにとっての一大事に。

なんでキクチが聞き役にえらばれたかというと。

 

すごく雑に言うと「どうでもいいから」なんだよなあ。

 

要するに。

「そんなことを、家族そのものに言えるわけねえ」

「親しいおともだちにも言うのはばかられる」

「近所のひとにおいそれと言って、おもしろおかしくなっちゃったらよけいめんどくさくなる」

ってのがあって。

 

クソさしさわりねえ距離感の知り合い・オブめっけ!

キクチがうってつけ!

ってわけで。

 

 

ただその。

これはひょっとしたら性善説に過ぎるのかもだけど。

なおかつ、キクチが壁に選ばれた意義。

みたいなことは、踏まえつつ壁になんなきゃなとおもった。

 

(話が前エントリーから進んでねえぇ?)

 

 

で、壁の役目を果たせたかというと。

応えられた自身は、ノットアットオール!

なんだけど。

 

でも、それは人知が及ばないっていうか。

こっちが好きこのんで突したんではなく、

あちらさんの悩みをぶっつけてきてるだけだし。

 

 

こちとらはかえって、好き勝手な。

ともすれば、何らの責任感もともなわない、正しいっぽいことを口から出まかせすればいいだけで。

フリーダムに口から出まかせをしといて。

 

 

いや、語弊が生じるかもしんないけど。

「正しいっぽいことを口から出まかせ」は結果論で。

こっちはこっちなりに、不意にぶっつけられた壁として、カノジョにとって「いい」弾き方ってなんだろうみたいなことを必死に考えて。

 

フリーダムに口から出まかせをしたわけで。

 

 

これはあくまで、善意の解釈っていうか。

「いい意味で」の権化みたいなもんなんだけど。

 

適切に「何を言うか」にはいろいろ条件がついて。

(どういう間を置きながら)

(どういうトーンで)

(速すぎもゆっくりすぎもしねえピッチで)

(相手が心地よくなるタイミングだけを探りつつ)

(フリーダムに口から出まかせに)

(いかに、説得感をもたせるか)

 

って、「フリーダム」とほど遠すぎるじゃねーか!

 

自由っていったいなんだーい?

どうすりゃ自由になるかーい?

 

。。。まーた尾崎豊かよ!

(オザキだーいすき!)

 

「小意気なドラネコってとこだよ」

って、どんなとこだぜ????

わかりるひと、いる????

 

オザキー!!!

 

 

必然性度外視で、もう1回だけつづく。