キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

じぶんの誕生日が謎案件(タキシタヒストリーその2)

伯母と母は8歳、伯母は早生まれだから学年にすると9つ違うことになっておって。

 

単純に、母がまだ小学校低学年のころは。

伯母はもう、中学を卒業して働いてたから。

おなじ戦後にしても、みている景色は全然ちがう。

 

ってのが、今回。

伯母から話を聞きたかった理由の根っこにあって。

 

 

たとえば、「伯母は中学を卒業して働いてたから」ってさらっと書いたケド。

 

伯母が15歳な昭和30年の高校進学率を軽く調べたら、やっと50%を超えたぐらいで。

でもそれは全国の男女の数値だから。

田舎のクソ貧乏な家庭の長女には、最初から学問よか稼ぎ扶持を求められて育ってきたようなもんで。

 

伯母もハナっから高校に行く気などなく。

当然のように、何の疑問も持たず中学でおりて就職したという。

 

 

「田舎なんてそんなもんだったに」伯母は言うが。

実際、高校に行く女子なんてよっぽど金持ちか優秀なひとだけで。

 

母は5人きょうだいなんだけど。

うち3人が女性で。

 

その伯母と母との間にもう1人おばがいて。

その真ん中の伯母は勉強ができたひとなので。

浜松でいうと、キタコーか女子校のトップのイチリツしか進学は許さんみたいな感じのなか。

 

イチリツを出てるってんで、浜松ではそれなりのステータスがあるらしい。

そういう、クソ貧乏の娘にあるまじき、高卒。

 

 

齢の近いきょうだいあるあるっていうか。

今回話してくれた伯母と真ん中の伯母は齢が近くて。

何かとバチバチやり合ってるんだが。

「私は中学でおりたのに、ヨシエは高校まで行った」

ってことが、ひとつ、伯母のなかで積年の恨みとして?降り積もってる。

 

というのは、キクチがガキのころからフシブシに感じ取れる。

仲は悪くないんだけど、まあそういうものとして。

 

 

あまつさえ、いらねえ情報的には。

真ん中の伯母っていうのは。

3姉妹のなかでぶっちぎりに美女だった。

ってのも、対立の溝をよけい深めたのかもしれないw

 

 

ただ、これはフォローするわけじゃないが。

3姉妹のなかでいちばん頭がいいのは。

実は今回話をしてくれた、

学はいちばんない長姉の伯母だっていう、

キクチのむかしからの定説めいたものもある。

 

物事の考え方もそうだし、文才がこれまたすごい。

 

 

あ、ビートたけしが子どものころの話をよくしてたときあったじゃないすか。

「たけしくん、ハイ!」的な。

時代背景がおなじような感じだからかもしんないケド。

 

あれを聞くと、母きょうだいもいっしょで。

たけしの母・サキさんと同じように、祖母・まさも剛腕かあちゃんで。

 

上記したように「女に学問はいらねえ!」だが。

男の子は「これからは学歴だ!」

あまつさえ、強制的に技術系だ!ってんで。

有無もいわさず、英才教育だったらしい。

 

 

で、だいぶ話がそれたので戻すと。

 

伯母は中学を出て就職して、バスガイドをしてたってのは聞いたことがあった。

バスガイドっていうか、バスの車掌さん。

 

土地柄、「遠鉄?」って聞いたら、

「市バス」だそうで。

 

要するに公務員なので、というか。

当時の公務員って、年に3回?4回? もボーナスが出てたらしくて。

 

。。。ってのは、次エントリーにつづけますね。

 

 

っていうか、今回いちばん衝撃的だったのは。

 

話をもらう最初の段階で。

いちおう、予備情報を確認しとこうってことで。

「おばさんって昭和16年の1月生まれだよね?」訊いたら。

「戸籍上はね!」言う。

「ほんとうは15年の12月らしいの。何日かは知らないけど」言う。

 

ファっ!!!!

 

 

いやいやいやいや。

自分の祖父母世代、明治とか大正の初期ぐらいはそういうのあったってのは、聞いてますですよ。

 

キクチが子どものころはまだ、まわりに明治大正のひとがわりとゴロゴロいて、

きょうだいが多すぎて、うっかり届けを出すのが遅れちゃったとか。

たとえば4月のはじめに生まれたケド、学年をずらしたほうが早く独立する(食い扶持が減る)からってんで3月末生まれってことにしちゃうとか。

ってことはふつうに行われてたらしい。

ってのは知ってる。

 

「キクチが子どものころは」をアゲインすると。

近所の最長老のおばあちゃんなんて。

義務教育でもなかったから?

就学経験がなくって、読み書きができなかったもんな。

 

「文盲」なんて、江戸時代のことかとおもってたら。

昭和後期にも実在すんだ! って相当ビビったもんね。

 

 

でもでも。出生届に話を戻すと。

(かろうじて戦前な)昭和15〜16年にも?

っていう、ね。

 

さりとて、学年(年度)が変わるわけじゃないし、何でだろう?

 

年末年始で忙しいったって、愛娘の誕生にかかわることだぜ!?だし。

祖父母階層はもう死んじゃったから、理由は伯母階層では藪の中で。

 

たぶん、そんだけ貧乏で生活の糧を得るために奔走してたからかな?

おもわないでもないが。

 

 

ばあさんが生きてるころにグチとしてよく聞いてたのが。

 

「おじいさんは戦前はヤマハに勤めてて腕のいい職人で」

「給料もすごくよかったのに」

「兵隊から帰ってきたら頑なに復職を拒んで」

「おかげで、ものすんげえ貧乏生活が始まっちゃった」

(「おじいさんのヤロー、なんでヤマハに戻んなかったのよ!」)で。

 

ってことは。

伯母が生まれたのはかろうじて戦前だから、まだそれなりに裕福だったはずで。

やっぱり理由がわからないまんまなんだけど。

 

伯母、ほんとうの誕生日が謎とか、不憫すぎねえ? www