「そういえば、いつからかチラシをくれなくなったなあ」
職場の最寄駅の真ん前に名門・上智大学があって。
四ツ谷に通いはじめてから丸18年。
最初の頃はキクチもまだ30そこそこで。
あまつさえ、見た目が実年齢より若く見られるほうなので。
この季節はよく、駅前の交叉点で新歓期間のサークルとかのチラシを配られておった。
。。。
いや、いまこの齢になったからこそ
「とても49には見えませんね」は褒め言葉になりうるが。
若く見られがち自慢をしたいんじゃなくって。
まったくその真逆で。
むかしもいまも、キクチにとっては全然褒め言葉じゃなく。
もっとちゃんと年齢相応に見られたいっていうか、
むしろナメられてんじゃね?
ってシーンに出くわしてきたこと数知れずで。
何なら、むかしから「早くおじいさんになりたい」が夢だ。
ガチで。
*
んで、30代半ばぐらいまでは新歓のチラシを配られてたような気がするが。
いつしか、チラシ配りのあんちゃんにスルーされるようになったし。
スーパーとかコンビニでアルコホールをせしめようとしても、レジで何も言われないようになった。
そりゃそうだよな。
いまや、新歓のチラシうんぬんどころか。
新歓されるひとの親世代っていうか、モロ親なんだもんな。
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何を言いたいかというと。
あくまでもののたとえで。
野郎にとって「女子大生(JD)」ってある種、
無限の可能性の広がりを秘めた言葉じゃん?
「女子大生」ってだけで、ひとつのブランドたりうる。ってえの?
ことほどさように。
通勤のときに見かける上智大生は、何ともきらびやかに見えて。
「こいつら全員、早見優バリに英語喋れんのか!?」(昭和ぇ)
「西田ひかるみたく、『パップコーン食べよう』『マクダーナル行こう』って言うんだろうな」(昭和ぇ)
ナドト思っちゃったりして。
だから何だってんでもねえが。
とにかくそういうもんで。
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あ、これはあくまで話のマクラのつもりだったんだが。
おそらくきょうはこのまま、マクラだけで終わるな。。。
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この春の季節。
新入生っておなじ大学生のはずなのに、
なぜか一発でわかりるじゃないすか。
まだいい意味で垢抜けてないっていうか。
服装もダサかったり、てんしょんがミョーだったり。
それが逆に初々しくていいっていうか。
何らかの原石感っていうか、いまの道の先に夢と希望以外にない感じっていうか。
エロい意味は皆無で(いや、ちょっともないとは言い切れないキモさも包含しておるかも)、いいなって他人事のようにおもっておったんだが。
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ムスメっこがJDになっちまったきょうびとなっては。
今年の春は、四谷駅前の交差点で見かける、まだ明らかに服装がダサかったり新生活にてんしょんがミョーになってる子たちを。
「いいぞいいぞ、ガンバレ!」
って、ムスメっこを見るのとおなじように。
それこそ、(こっちはほんとうに純粋に)エロい意味は皆無で、親が子を見る視線でながめているじぶんに気づく。
何なら、目の前の名門JDをムスメっこに重ねて。
「ななちゃんもいまごろ、こんなん感じで楽しくやってんだろうなあ」
ほほえましくなっちゃったりして。
。。。そりゃ、新歓のチラシなんかもう、くばられるわけありませんでさあな。
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こいつキクチ、ほんとうにマクラのまま終わったぞ!
つづく。