GW中は断捨離に手をつけようとおもってて。
主なターゲットは屋根裏の書庫の7割以上を占める父親の本。
あと、もう読まないであろうてめえの本。
文庫で600ページのが26巻ある山岡荘八版徳川家康とか、太宰治とか。
冬は寒すぎてカラダは動かないし、夏は窓のない屋根裏は灼熱地獄になる。
夏じゃなくても、気温が20℃を超えると屋根裏は茹るってんで。
1年のうちGWが整理をできる唯一のチャンスだったりして。
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父親の仕事道具はなるべく取ってあって。
それは、母親が寂しがるだろうとか、高価なものもけっこうあるんじゃないかって及び腰もあって。
むかしは、同業の人とかお弟子さんにあげたりしてたこともあったんだけど。
4年前の13回忌のときに「そろそろいいよね」ってなって。
今年、17回忌も済んだし「もういいっしょ」ってなって、筆や硯や軸や額はともかく、物量的に圧倒的な部分を占める資料類は処分しようってことにした。
今年はけっきょく、全体の5分の1も片づかなかったんだケド。
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モノ(物事)の値打ちって、何なんだろね?
今年捨てちゃった資料には、たぶん見る人が見ればものすげえ高価なモノが含まれてたかもしれない。
が、それはソッチ系の知識や見識がビタ一文ない家族からすれば何の値打ちもない。
いっぽう「父親が大切に使っていた道具」という意味では、家族にとっては値打ちがあるけど。
父を知らない人にとっては何の値打ちもない、とか。
きょくたんな話。
100万円つくおんぼろっちい資料より、父親がすごく愛用してた1000円の筆のほうに値打ちを認める、的なこともあるわけで。
想い出深いマラソンレースの完走Tシャツとか、
自己ベストを出したときに履いてた、履きつぶしたシューズ、みたいな。
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いっぽうで。
「100億円」とか「ピカソの作品」ってのは。
その値打ちを決めた人の権力が絶大か、あるいは合意形成が抜群であるかのいずれかなので。
それが絶対的に根源的に高価?であるかはあやういわけで。
「明日からモノの値打ちは、貨幣じゃなくて流した汗の量で測ります」
的なことも起きうるわけで。
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ん?
だからなんだよ!
途中から話が全然わかりづらくなったじゃねえかよ!
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何を言いたいかというと。
ん? 何が言いたかったんだっけ?
それはモノにかぎらず、内面的なことにも言えるよねとかそういうことだったような気もするが、まあどうっでもいいな。