今年で13回忌だってんで。
こないだ、家族で飯を食いにいった。
*
こういう誘惑。
緊張感が皆無すぎる。キクチヒロシ@rFsPIZFyucNM3Z2
いやん。
2018/03/21 17:51:01
っていうか、かんぜんにお迎えだ。 https://t.co/XwSO6H8ctW
前日にウタゲで召しすぎたので
もはや迎え酒っていうより
「2次会」に近いぇ。
*
あまつさえ。
「墓参りしたついでに、飯を食う」
ってんで、前に一度いった近所の
酒屋の角打ち的な店を予約したんだが。
その日は雨で寒くて。
墓は駅からけっこうあるし。
急坂を上った丘の上にあるしってんで。
墓参りをカツアイして、飯だけ食うことにした。
ことほどさように。
12年も経つと、もはやふつうのウタゲ状態。
「おめえソレ、どんなダチョウ倶楽部だよ」
妹にふつうに、そういうツッコミを受けたり。
ほんの数年前までは、まだ。
思い出してはけっこう
おセンチにもなってたのにな。
⇒The Day(2015/03/26)
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こういうのってちょっとさびしいな。
とおもういっぽうで。
これはこれでしようがないことだし
あながちよくないことばかりでもないのかな()
とも、おもう。
*
なんていうか。
父親が亡くなったのはムスメっこが1歳の時で。
ムスメっこは彼のことをまったく憶えてない。
それは、おれから見たら
「惜しい」「もったいねえ」ことなんだが。
ムスメっこにとっては関係ぶうで。
じいじの記憶なんかなくても
何の支障もあるはずなく、すくすく育ってる。
階段の踊り場に掛けてある
父親が揮毫した軸は、彼女にとって
ただの「むかしから家にある風景」以上の
なんの意味もない。
*
これが、変に「語り継ぐ」とか
よけいな使命をつくっちゃったりしたら
たぶん、ムスメっこのふだんの暮らし、
どこかしらキュークツになる。
かもしんないから。
記憶なんて薄れちゃって大歓迎なんだぜ。
みたいな、な。
おう。
言いたいことがよけいわかりづらくなる
パッターン必定だわコレ。
*
おんなじふうに、あと20~30年のち。
母親がいなくなり、
おれがいなくなり
妹がいなくなりゃ。
父親の存在を知るひとはいなくなり。
くり返しで
母親の存在を知るひとも
おれの存在を知るひとも
やがていなくなる。
父親がいなくなってからの12年で
そうだったように。
それでも地球は、ふつうに回りつづける。
大きくぽっかり空いた心の穴も、
気にならない程度に、せばまってく。
おもったよか、わりとすぐ。
それでいいんじゃないかと、おもう。
*
そんなん感じで。
じぶんの「生きる意味」「生きた意味」なんて
ぜんぜん大したことじゃないんだから
考えるひつようも、残そうとするひつようも
じつはビタ一文なくって。
いまを精一杯まじめにふざけて生きて
それで楽しりゃ、エニシングOKなのかな()
ちょっとむなしい気もしないでもないが
それが真理なのかも。
おもったりおもわなかったりした。
ぽえむ。
カルペディエム。