キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

せんだいいくお

宮城県に仙台育英高校っていうスポーツがつおい学校があるじゃないすか。

 

昨日のクイーンズ駅伝でも、優勝した積水化学のアンカーだっけ?

ほか、何人か仙台育英出身の選手が走ってて。

 

仙台育英って駅伝もつおいもんな。

服部勇馬が仙台育英だっけ?みたいな。

 

 

弟の服部弾馬とか、青学にいた一色もそうだな。

そのときは震災の影響で活動がままならなくなって。

仙台育英の主力メンバーをごっそり、愛知の豊川高校が受け入れて。

駅伝的に全然有名じゃなかった豊川高校が、全国高校駅伝でいきなり注目された。

なあんてこともあったな。

 

 

あ、きょうのエントリーもいつもどおり中身はない。

 

 

仙台育英っておなまえを聞くと条件反射でコウ、ツイートしてしまう。

実はけっこうむかしから地味にやってるんだが、ツッコまれたことは皆無ぇ。

ってののいきさつが主題。

 

ほおら、何の興味もわかないでしょw

言われなきゃそんなんツイート、誰も気づかなかったでしょw

 

 

中学のとき、バレー部にいくおくんってひとがいた。

 

キクチはいくおくんとはさほど面識がないっていうか。

1年生のときだったっけかな?

一度、おんなじクラスになっただけみたいな間柄。

 

 

学校は当時としてもわりとマンモス校で。

川崎市内で2〜3番目ぐらいだったかな?

第二次ベビーブームってこともあったかもだが。

おんなじ学年は45人クラスで10組あって。

 

でいて、キクチは中学入学のタイミングで。

隣町から引っ越してきたから。

○部活がおんなじか、

○よっぽど仲がよかったか、

○すげえ目立ってたひとか、

○村で評判浮き立つジョーダマチャンネー、

がんばってもそんくらいまでしか把握しきれない。

 

そんなん感じで。

 

 

でもさあ。

「いくお」って、なんかいいおなまえだよね。

 

どこがどうって言われても

ヒトサマを首肯させるようなロジックが組み立てられないんだが。

すっげえなんとなく一度聞いたら忘れられないじゃん?

 

そんなんわけで、

いくおくんは、キクチの頭の片隅にずっと残りつづけた。

 

 

奇しくもっていうか。時あたかもっていうか。

 

キクチが中3のときの夏の甲子園。

大越っていう剛腕投手を擁して、仙台育英が準優勝した。

 

それまで東北地方の学校は、

組み合わせ抽選で当たると。

相手校にあからさまに失礼なほど喜ばれちゃうぐらい、

まだ地域ハンデがあったころで。

 

にもかかわらず、仙台育英は決勝進出して。

「太田幸司の三沢高校以来」

なんて言われて、すげえ盛り上がった気がする。

 

 

その年は、ベスト4に東北の学校が2校残ったんだよね。

秋田経法大付属の1年生エース中川クンとか、クソなつい。

 

(あ。むむむ?ってちょっとググったら、

1971年に福島の磐城高校も準優勝してるから

「太田幸司以来」じゃねえじゃねーか)

 

ってのは、措いて。

 

 

宮城の仙台育英が甲子園で準優勝したってことは

キクチがかよう川崎の田舎の公立中学校でも話題になった。

 

いっぽう。

中学校の男子バレー部は、ちょうどそのころ。

毎年、全国大会でそこそこ勝ち上がるような感じで。

 

それはつまり、学校中のいまでいう陽キャ男子が

こぞってバレー部に入るみたいな現象になってて。

 

 

そんで、仙台育英の甲子園の活躍により、

なぜか、たぶんレギュラーでも陽キャでもなかった

バレー部のいくおくんが一躍、脚光を浴びることになった。

 

お調子者のバレー部のレギュラーが

廊下の向こう側にいくおくんを見つけて

「おーい、せんだいいくおー!」とか言っちゃってね。

 

こちとらも「おっ!『せんだいいくお(ゴクリ)』」ってんで、ぶわっと広まる。

という「せんだいいくお」爆誕の瞬間。

 

というだけの話である。