キクチヒロシ ブログ

絶滅寸前の辺境クソブログ。妄想やあまのじゃく。じゃっかんのマラソン。

リハビリが必要だ

10/1金曜。

緊急事態宣言が明けたってんで&夕方まだ明るいうちに職場を出られそうだってんで。

帰り道、いつもの通勤路をはずれて表参道で下りてみた。

 

コロナがはびこり出したころ。

折しもトラウマ的事象がたてつづいた街。

 

そんなシャレオツタウンに具体的な用事なんかあろうはずもなく。

でもただ何となくうろうろしてみたくなったのだ。

 

ところが。

「何となくうろうろ」のやり方がわかんねえぇ。。。

 

 

もう1年半以上、2年ちかく。

不要不急とかいう戯言に全乗りして。

外出するときは自宅と目的地を一直線してただけなので、オフコース(「ロンのモチ」的な意味じゃなく、「小田和正」的な意味な)のやり方を忘れちまっとる。

 

青学のほうの地下鉄出口を出て。

けっきょく、ほぼ通り沿いにあるいてアニヴェルセルのとこの地下鉄出口を降り、そのまま千代田線に乗って帰途についちまった。

 

 

「表参道ナドト、キクチのくせに背伸びしすぎた!」

ってんで、地元から攻める作戦に変更。

狛江駅で下り、あえて盛えてるほうに足を向けてみる。

 

 

せっかく、緊急事態じゃなくなったし。

本屋でだらだらしたり、

開いてる飲み屋とかにフラッと入って一杯ひっかけたり。

してえ!!!

 

→→→結果。

本屋では、歩くペースを落とさず棚を一通り練り歩いただけで出てきた。

道々、餃子屋さんとか海鮮屋さんとか、中をチラ見すると箸を片手にジョッキを傾けてるひとがいて「いいなあ」っておもったが、飛び込む勇気が持てず素通り。

 

100円ショップで靴を洗う用の長めの柄がついたタワシを買っただけ。

それってただ必要に迫られただけじゃねーか。

 

 

。。。

 

 

特に意識が高いわけでもないが。

(どちらかというと意識が低いっていうか)

(「言ってもおれだけは感染しないでしょ」ぐらいのんきで)

 

でいて、やっぱリスクは少しでも除きたいから

ってんで、知らず知らずおこなってた

「おうち⇄目的地」

がこの2年弱ですっかり染み付いちゃってて。

 

ムダな寄り道ひとつできねえ、

クソつまんねえ人間に成り下がっちまった。

 

 

なんかコウ、人間って。

っていうか生きものってたしかに。

「食って寝て出しさえしてりゃ」

生物としての存在を保持?できるのかもしんないが。

 

ただ食って寝て出して保持できてても

それの何が楽しいの?おもしろいの?

じゃないすか?

 

コロナ禍になってからずっと、

ぼくたちあたしたちはそれを

突きつけられつづけてきたわけで。

 

 

でいて、金曜。

いつしか「食って寝て出す」だけの

一直線にしか進めなくなってるおのれに

コウ、まんまと成り下がっちゃってることに

すんげえショックを受けた。

 

ムダって、全然ムダじゃねえじゃんか。

おれら、ムダを食ってこそ生きてんじゃんか。

と。

 

 

失われた20年とか30年とか巷間、言われてるケド。

そんなんロングスパンの前にとりあえず、

「2年」分の野性の勘?、ムダの楽しみ方?

を取り戻さなくちゃマズいな。

感覚的に。

 

って、すんげーおもった。

おもいましたとさ。

 

 

ちゃんとまじめにムダを取り戻そうとしたら

たぶん、まじめにリハビリが必要。

 

「フラッと一杯飲み屋に入れようになる」とか

「へんな罪悪感を感じないで生ビールを頼めるようになる」とか。

そういうの。

 

もっと言うと。

「ふだん歩いてる道を『バリバリ脇目を振って』あるく」とか。

そういうの。

 

これからコツコツ積み重ねたいw

 

 

。。。

 

ってこんなん、言いたかったこととちょっと違う。

そんな、ちゃんとしたことめいたことじゃねーんだよな。

 

 

ただ、なんつうの?

ことウタゲのリハビリって、付添人?介護者?が必要だとおもうんっすよ。

一人ならよしんば、暗黒の宅飲みでもできるわけだし。

それじゃ、ここでいうところのリハビリにはなんないわけだし。

 

という、わけのわからない供述も含めつつ。

そんなんわけで。

キクチのリハビリに付き添ってくれる奇特な方、年中無休で絶賛大募集中!

 

(いらねえ情報的には)

(そういうのが待ち遠しくってこの土日)

(「そば屋で煮込み片手に一杯」)

(みたいのをぐっとこらえて籠城し)

(来たるべきXデーのために想いを馳せたのであった)